自分の声を味方につける 声出しで気持ちを整える

学校教育で音読の機会減る傾向に

私のような無粋な人間には朗読は不向きでストレスと感じるが、音読なら声出しの気持ちよさに勝手に酔いしれても誰にも叱られない。学校授業での音読を思い出して、「『一人読み』はドキドキしたけれど、クラス全員で声をそろえて読み上げる『一斉読み』はそれなりに楽しかった」と、懐かしく感じる人もいるだろう。

「ところがですねえ、今は、かつてほど、音読教育が熱心に行われているとは言えないんです。小学校3年生を過ぎるころから、より多くの教材を、黙読して、素早く読みこなすニーズが高まっています。特に受験に熱心な『良い学校』になればなるほど、できるだけ短時間でより多くの試験問題に正解する能力を鍛えようとする傾向にあります。黙読というより、瞬読ですね」

こうおっしゃるのは『心とカラダを整える おとなのための1分音読』(自由国民社)を書いた、大東文化大学の山口謠司准教授だ。山口さんは「目は賢いけれど、うそをつく」と、あえて強い表現を使い、「黙読の『危険な側面』」を語った。

山口「黙読でさっさと読み飛ばしても、漢字は表意文字ですから、大抵、意味は想像できます。『一矢を報いる』の『一矢』が目に飛び込んできた瞬間、黙読で『いちや』と読んでいたからといって、誰かが誤りを指摘するなんてことはありません。逆にいえば『それをいうなら、いっしをむくいるじゃない?』と突っ込んでもらえないから、新たな知識を獲得するチャンスを逃したともいえます」

梶原「踏襲をふしゅう、云々をでんでんなど、黙読なら誤読でもスルーしてもらえますが、公の場で声に出して言った麻生太郎元首相、安倍晋三首相はこんなささいな誤読で、『一国のリーダーとしていかがなものか?』と非難されましたね(正しくは「とうしゅう」「うんぬん」)」

山口「所謂の読みを、本来の『いわゆる』ではなく、『しょせん』だと信じて疑わない人がいますが、音読していれば修正できていたかもしれませんね」

たかが「誤読」ともいえるが、世の中には、ちょっとした漢字の読み間違えで、知性、教養、仕事の能力から、果てはその人生観にまで「疑問符を付ける人」がいるから困ったものだ。「そんな面倒くさい相手とは、顔をつき合わせ、肉声でやりとりするのは一切やめましょう」というわけには、当分、いかない。

仕事の事務連絡は、電話に代わり交流サイト(SNS)やチャットツールなどのテキスト情報へ移行しつつあるが、「大事な交渉事」「人事採用面接」を「フェース・トゥ・フェースをやめて、テキストベースで」と考える人はまだ少数派だろう。

となれば、「あの人の話しぶりは誠実な感じがする」とか、「言葉の切れのよさがスマートさを醸し出している」「会話に入り込んでくる間合いが絶妙」「難しい漢字をよく知っていて頭がよさそう」などという「アナログな非言語情報」は、まだしばらく尊ばれるはずだ。

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