変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック

西川口西口店はいまも同じ場所で「日高屋」に名前を変えて営業している

西川口西口店はいまも同じ場所で「日高屋」に名前を変えて営業している

ラーメン店「日高屋」を展開し、あくなき成長を追い求めるハイデイ日高創業者、神田正会長の「仕事人秘録」。大家や保証金のハードルが高い物件への出店を、創業間もないころにどうやってクリアしたのでしょうか。

<<(4)人を雇うのは本当に難しい 多店舗化で知った現実
(6)日高屋は「来来軒」だった 夜客つかんで埼玉で成長 >>

3店目は大宮(さいたま市)を離れ、JR蕨駅(埼玉県蕨市)前に出すことにした

弟たちを誘い込んだときに、将来のチェーン展開の夢を語りました。「来来軒」の看板を大宮から赤羽(東京都北区)まで、全部の駅前に掲げるぞ、だから手伝ってくれ、という論法でした。弟たちは全然信じてなかったでしょう。「そんなカネがどこにある」「人が集まるわけがない」。反論していました。でも結局、すべての駅前に出店できました。

そんないきさつもあって、当時は大宮から南に向かって、仕事の合間を縫って、物件を探して歩きました。情報誌などなく、足が頼りでした。

あるとき蕨の駅前で「貸店舗」の看板を見つけ、目の前の不動産屋に飛び込みました。遅い時間でしたが、おやじが店にいました。でも「飲食店は大家がOKしない」とつれない返事で、取り合ってくれません。保証金を尋ねたら「150万」と言います。じゃあ200万円出すから大家さんに聞いてみてよ、と頼みこみました。

すると翌日すぐ電話があって、大家さんが貸すと言っている、と。賭けをする気分でやったことですが、いい方に出ました。取引なんてそんなもんですね。

それからは毎晩、内装工事をやっている間じゅう、店の前に立ってひたすら人の流れを見ていました。うまくいくか、心配でした。

そうしたらある日、おまわりさんに不審者扱いされて交番に連れて行かれ、いろいろ質問されました。ここでラーメン屋をやるんだ、と説明したらわかってくれて、「あんた、ここ、売れるよ。人通りがあって、きっと客が入るよ」と励ましてくれました。それでようやく安心しました。

新着記事

Follow Us
日経転職版日経ビジネススクールOFFICE PASSexcedo日経TEST

会員登録をすると、編集者が厳選した記事やセミナー案内などをメルマガでお届けしますNIKKEIリスキリング会員登録最新情報をチェック