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従業員に売り上げを持ち逃げされたことも。写真はイメージ=PIXTA

従業員に売り上げを持ち逃げされたことも。写真はイメージ=PIXTA

ラーメン店「日高屋」を展開し、あくなき成長を追い求めるハイデイ日高創業者、神田正会長の「仕事人秘録」。事業を拡大し始めたころ、苦労したのは「人」の問題でした。

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繁盛すると一人で切り盛りはできなくなる。早くも人を使うことの難しさに直面する。

大宮・北銀座(現さいたま市大宮区)の店は本当にもうかりました。店を始めて3年目くらいでしょうか、日商2万円ほどになりました。ラーメン1杯が100円以上になっていました。これでこの商売をやっていける、と確信しました。

岩槻(現さいたま市岩槻区)を去る際にいったん、別れていた弟(町田功・元ハイデイ日高専務)はすでに呼び戻していました。北銀座の成功で、多店舗化を考え、もう一人、妹婿の高橋均(ハイデイ日高社長)を誘いました。高橋は当時、ラジオメーカーに勤めていましたが、いずれ自分で居酒屋をやりたいと言うので、ラーメンもいいよ、商売を覚えられるよ、と説得しました。

そこでまず、もう少し広い店を探しました。北銀座に比べてスナックなどが多い大宮・南銀座に出そうと。あるとき、南銀座のおにぎり屋で飲みながら女将に尋ねたら、貸店舗情報を教えてくれました。

それで大家さんに連絡してみると、保証金は300万円くらいでした。想定より高かったので、そんなカネはない、と言ったら、手形でいい、ということに。それで生まれて初めて、手形を切りました。結局、手形を振り出したのは後にも先にもこのとき限りのことでした。

今度は12坪(約40平方メートル)の店です。これも当たりました。「吉野家」は当時、24時間営業でしたが、ほかに夜通し食べられる店はほとんどありませんでした。午前0時を回ると、どんどん人が集まってきて、夜中の商売はこんなにもうかるのか、と改めて驚きました。

初期の頃の、人を雇う苦労が、従業員を大切にする社風の源泉となった。

弟たちを頼りにしたのは、やはり身内が一番信頼できたからです。40歳くらいまで厨房で鍋を振っていましたが、3店、4店と店が増えてくると、当然、人を雇います。しかしこれが、本当に難しい。

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