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引退試合でオカダ・カズチカ(右)にラリアートを決める(2015年11月15日、両国国技館)=東京スポーツ新聞社提供

引退試合でオカダ・カズチカ(右)にラリアートを決める(2015年11月15日、両国国技館)=東京スポーツ新聞社提供

「昭和のプロレス」を体現した人気レスラーで、65歳まで現役でリングに立ち続けた天龍源一郎氏の「仕事人秘録」。ついに訪れた引退について振り返ります。

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 2015年2月、引退を発表。各団体に参戦し引退ロードが始まる。

引退の一番のきっかけは女房の大病です。もしも女房に何かあったとき、ケガしていたら家族を守れないし、一緒にいられないと考えました。興行で思うに任せない状況もありました。

女房は大病を乗り越えましたが、僕はもう引く頃合いかなとの思いは強まります。普段通りに接してくれる女房を見て、うっとうしいかも分からないけど、支え合っていかねばならないなと思いました。

ちょうど映画「LIVE FOR TODAY―天龍源一郎―」の撮影も始まりました。川野浩司監督が僕と娘の関係性を撮りたいと言ってくれたときにたまたま引退が決まりました。閉鎖的なプロレス業界で一生懸命カメラを回してくれありがたかったです。

引退ロードではファンが優しかったです。小さな団体のあんちゃんとの初顔合わせがほとんどで、俺は「これで終わるから」という思いだし、あんちゃんは「こんなおっさんに負けてたまるか」と向かってきてくれたのがよかった。行く先々でファンは他のレスラー、プラス天龍で応援してくれます。全て「もうレスラーとして戻ることはない」と挑んだ愛(いと)おしいメモリアルロードでした。

引退試合に臨むときに女房が「ちゃんと自分の2本足で戻ってきてね」と言うんです。「何を言っているんだ」と思うけど、昔担架で運ばれて帰ってきたことがあったからと後で聞いて納得です。「あんただけは本当に周回遅れだね」とたたかれました。

 引退試合の相手、オカダ・カズチカはプロレス界最高の名誉、東京スポーツ新聞社プロレス大賞の年間MVP(最優秀選手賞)を12、13年と連続受賞した。連続受賞は天龍以来、25年ぶり。当時、達成していたのはアントニオ猪木、ジャンボ鶴田を含む4人だけだ。

オカダは年間MVPを取ったとき「猪木、鶴田、天龍は俺と同じ時代じゃなくてよかったですね」と大ぼらを吹きやがったんです。「このやろー」と思って、「やめるんだったらこいつだな。昭和のプロレスを見せつけてやろう」と思い、その時までふつふつと実現を考えていました。

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