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「天龍プロジェクト」旗揚げ戦で勝ち名乗りを上げる(2010年4月19日、新宿FACE)=東京スポーツ新聞社提供

「天龍プロジェクト」旗揚げ戦で勝ち名乗りを上げる(2010年4月19日、新宿FACE)=東京スポーツ新聞社提供

「昭和のプロレス」を体現した人気レスラーで、65歳まで現役でリングに立ち続けた天龍源一郎氏の「仕事人秘録」。現役生活の終盤、ケガで長期の離脱を余儀なくされます。

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 数々の団体に参戦した後、2010年には自主興行の小団体「天龍プロジェクト」を旗揚げした。

いろんな団体を回って、ろくでもない顛末(てんまつ)だなあと悟りました。天龍プロジェクトは自分の死に場所はちゃんとしておこうとつくった「終の棲家(ついのすみか)」ですよ。

最初は自分の好きなように興行しメインは俺でやれればと。立ち上げ時はうぬぼれていて、小さい会場なら天龍の名前で採算がとれると思っていました。その意味で新宿の旗揚げ戦でケガしたのは大誤算でした。

最初は気づいてなくて、その日は応援してくれる人と飲みにいき、帰りにマンションの階段で片足上げたときにひっくり返ったんです。飲み過ぎてるんだなあと思った。次の日起きて、トイレで座ろうと思ったら抜けるようにストーンと落ちて、腰に力が入らないんです。それから腰にベルトを巻いていました。

後で病状を調べにいったら腰部・胸部脊柱管狭窄(きょうさく)症と言われます。手術をすると1年は試合できないらしい。家族は手術を勧めますが、説得されると「うるさい、このやろー」と言って終わり。「がたがた言うなよ、やってんのは俺なんだから」。偉そうな感じですよ。

ただあまりに対戦相手に迷惑をかけ、思うに任せない自分がいます。このまま格好悪くフェードアウトするのは嫌だと思い、最後に戻ってくる自分を信じ手術しました。手術日を決め、力道山関の命日にお墓に行き「天龍源一郎を100%再生してください」とお参りしました。

 50年近い格闘生活で体にメスを入れたのも、長期療養も初めてだった。

本当に体は丈夫で、メスを入れたのは初めて。盲腸の手術さえしていません。それだけにリングに上れない1年は情けない気持ち6割と、カムバックするぞという気持ち4割です。「このまま追いやられ、忘れ去られてたまるか」という反骨心が出てきました。

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