日本に求められる教養 それは情緒と知識のバランスだ『国家と教養』

民主主義においては一人一人の国民が主役である。国民の「教養」はかつてに比べてより一層必要になっているはずだが、果たして私たちは教養を身に付けているだろうか。そもそも、教養とはどのようなものなのか。

そんな問いに示唆を与えてくれるのが本書『国家と教養』。従来の教養が人類の歴史においていかに偉大な力を発揮したかを俯瞰(ふかん)し、これからの新たな教養を提示する。著者は、大ベストセラー『国家の品格』の著書で知られる数学者・藤原正彦氏。

教養主義はなぜ衰退したのか

かつて、世界中で、教養は人として生きていくためになくてはならないものだった。古代ギリシャや帝政ローマでは、教養とは奴隷ではない自由人でいるために、必須の技術(リベラル・アーツ)だと考えられてきた。

ドイツでは19世紀初頭より「教養市民層」と言われる階層が勃興した。国民の1%に満たない彼らは、専門的能力と教養によって社会の中心となり活躍をした。

だがやがて、教養主義は衰退していく。ドイツでは工業化の進展とそれに伴う大衆社会の出現によって、国民の大半を占める労働者が独自に主張し始め、教養市民層の影響力が低下。それに危機を覚えた教養市民層は、沈下した自分たちの存在理由を回復するために民族主義を高らかに唱えた。さらにそれを用いて第1次世界大戦では戦争を煽り、戦後には反ユダヤ主義にまで進み、ナチズムへのレールを敷いた。

明治初期以来、ドイツ的教養で育った日本の教養層は、教養が古典と哲学に偏っていて政治や社会から隔離されたため、権力闘争、権謀術数といった政治力学を理解する素養を持たなかった。著者は、西洋の借り物の教養ばかりを取り入れた日本の教養人は、頭の先でしか考えることのできないひ弱な存在となり、ドイツと同様に戦争を止めることができなかったと指摘する。

「戦争を食い止める力にならなかった」。これが教養の地位が世界的に低下した理由だというのだ。

「これからの教養」とは?

ではこれからの時代に求められる教養は、どういうものか。著者は、基本は実体験によって得られる情緒や知識、“日本人としての形”だと説く。日本人としての形とは、忍耐や誠実といった、論理的ではない価値基準、つまり人間としてのあり方を指す。そして実体験を、読書を代表とする疑似体験から得られる知識によって補完することでバランスのとれた教養を身に付けることが可能になる。さらに、これからの教養として、従来までの人文教養、社会教養、科学教養に加え、大衆文化教養が大切になる。大衆文芸は万葉集から現代に至るまで非常に豊富で、日本の情緒や形が脈々と受け継がれているからだ。

知識は普段は脳内に眠っているものだが、実体験や大衆文化により養われた情緒や形があって初めて知識に生が吹きこまれ、真の教養となるのだと著者は言う。

グローバリズムなど次々に登場する新しい思潮に翻弄されそうになる昨今だが、バランス感覚を失わないために、著者が提示してくれた地図を持って私も教養の海に飛び込んでいきたいと思う。

今回の評者=山田周平
情報工場エディター。8万人超のビジネスパーソンをユーザーに持つ書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」エディティング・チームの一員。埼玉県出身。早大卒。

国家と教養 (新潮新書)

著者 : 藤原 正彦
出版 : 新潮社
価格 : 799円 (税込み)

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