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串カツ田中の貫啓二社長

串カツ田中の貫啓二社長

ここ10年で有力外食チェーンとして着実に育ったのが串カツ田中だ。トヨタ系の会社を辞め、飲食業に飛び込んだ貫啓二社長。串カツだけに関西弁でまくし立てる熱血経営者と思ったが、違った。冷静に会社のあるべき姿、未来を語る。「B級グルメの串カツだけど一流の飲食業ではなく、一流の企業を目指す」と気持ちは熱々だ。

世田谷1号店 だめ元で開店

――1号店から10年。起業のきっかけは。

「高校卒業後、トヨタのグループ会社に勤務していました。安定はしていましたが、組織は縦社会だし、高卒は出世できないとか硬直的な感じで。だから脱サラするときは『おまえ、トヨタやぞ。飲食やるなんて考えられない』と大騒ぎでした。当初はトレンドに乗った店作りでしたが、10年、20年、30年食べ継がれるような店を作ろうと方向感を定めました」

「東京に進出して始めたのが表参道での京懐石。ところが2008年のリーマン・ショックで大阪の店も東京の高級店も売り上げが急減し、経営危機に陥りました。起業時からのアルバイトで共同経営者だった田中洋江(副社長)も大阪へ帰る準備を始めました」

――なぜ串カツ屋になったのですか。

「大阪・西成出身の田中が串カツをやりたいと言っていました。おいしいレシピが実家にあるとの話でしたが、それが見つからなくて。会社が傾いた頃にレシピが見つかり、試作したらうまくいって。だめ元で串カツ屋をやろうと東京・世田谷に1号店を開きました」

「それまでは地価の高い場所で庭園付きなど手間のかかる店でしたが、1号店は居抜きです。デザイナーも使わず、大工さんと手作りで費用は300万円。厨房機器もレジもヤフー!オークションで買って」

――世田谷は1号店ですか。急に繁盛店ができた印象でした。

「月間売り上げも400万円、450万円ぐらいならぎりぎりやっていけるかなと。それが年末に開業し、翌夏には800万円。土日は開店前から2回転ぐらいのお客が列をなしていました」

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