ひらめきブックレビュー

水を生かして制する「お堀」の智恵 家康の江戸に学ぶ 『徳川家康の江戸プロジェクト』

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「鳴くまで待とう」の句を例に、徳川家康は概して慎重派と評される。本書『徳川家康の江戸プロジェクト』では、その家康の大胆で緻密な江戸の町づくりの方法にベストセラー『家康、江戸を建てる』の著者、門井慶喜氏が迫る。

■大胆人事で、大事業・利根川東遷に挑む

当時の江戸は京都から遠い田舎の湿地帯。さしたる産業もない悪条件だらけの土地だった。家康は豊かな東海の所領と関東を、秀吉の命でしぶしぶ交換したのだ。

なぜ家康はこんな片田舎に幕府を開こうとしたのか。既に都市機能が整っていた小田原を首都にしなかったのはなぜか。答えは江戸が未開の地だったからだ。何の既得権もない新天地に築く理想の徳川ランドに家康は賭けた。

江戸づくりの要は「水を制する」にあった。江戸の南北を突っ切って町の機能を分断する利根川を、なんと家康は川ごと東側に大きく曲げようと考えた。

事業リーダーの白羽の矢が立ったのは、並みいる武将ではなく側近の伊奈忠次だ。戦功より官僚的能力にたけ、土木技術先進国・甲斐での豊富な知見を持つがための抜てきだった。伊奈は大小の河川をつなぐ運河をつくり、徐々に利根川東遷を進めた。

さらに家康は江戸湾の埋め立て、上水道整備などで「住みやすい江戸」を形にしていく。なかでも著者が絶賛するのは江戸城のお堀だ。江戸の内と外を分けるはずの外堀に自然河川を利用したことで境界が曖昧になり、江戸の町への人の流入や活性が高まった。人が住んでいればそこまでが江戸、とばかりに町は拡張し続けた。経済も発展し、江戸は世界有数の100万人都市に成長していく。

■戦国から泰平の世への発想転換

大ばくちのような江戸プロジェクトが成功したのは、土木などの優れた技術と人材活用あってのこと。しかし、最大の決め手は伊奈の抜てきで分かるように、家康が戦国的発想を切りかえた点にある。「これからは有事より平時の人選だ」と見切ったのだ。諸大名の資金と労力をフル活用し、江戸城や各種インフラ整備の仕事を割り当てた天下普請も、時代の変化をよみとった実に巧妙な方法だ。

家康が泰平の世をイメージしつつ築いた江戸。東京となった今も溜池、汐留、水道橋などの地名が、水を制することで成長してきた歴史を物語っている。だが、その制し方は利根川東遷や江戸城のお堀造成が示すように、自然と人の折り合いをつけて活用していくやり方だ。

著者は家康の方法に学び、「オリンピックを控えた今こそ、堀や運河、水を見直してみるチャンス」と述べ、東京をローマのような景観と実用性を兼備した水の都を目指すべきだと唱えている。現に、外堀沿いに本社を有するヤフーや前田建設など19社が「外濠水辺再生協議会」を立ち上げ、水の流れの復活で外堀を浄化・再生するといった計画もあるという。

私たちは東京の本来と未来を語るためにも、水を制して飛躍した都市の軌跡をもっと知るべきではないだろうか。

今回の評者=大武美和子
情報工場エディター。8万人超のビジネスパーソンをユーザーに持つ書籍ダイジェストサービス「SERENDIP」エディティング・チームの一員。慶大卒。

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