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SWS設立会見で握手する天龍氏とメガネスーパーの田中八郎社長(1990年5月10日、都内)=東京スポーツ新聞社提供

SWS設立会見で握手する天龍氏とメガネスーパーの田中八郎社長(1990年5月10日、都内)=東京スポーツ新聞社提供

「昭和のプロレス」を体現した人気レスラーで、65歳まで現役でリングに立ち続けた天龍源一郎氏の「仕事人秘録」。全日本プロレスをやめ、日本初の企業主導プロレス団体として立ち上げた「SWS」に電撃移籍します。

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 1990年、プロレス界に激震が走った。全日本プロレスと新日本プロレスの「冷戦」構造を壊し、両団体から大量に選手を集めた新団体「SWS」の誕生だ。

天龍同盟を解散した後の90年4月、横浜文化体育館でジャンボ鶴田に負けました。憂さ晴らしで酒を飲み、ジャイアント馬場さんに相談したら「全日本本体に戻ればいいじゃないか」と言われます。

でも、まさか「鶴田やっつけろ」と応援してくれた人にジャンボとのタッグは見せられないと思いました。新日本への移籍は思ってもないし、一匹おおかみでいくのかなと。

そんなとき、相撲時代の同期だった人が「メガネスーパーの社長がプロレス団体やりたいって言ってんだよ」と話を持ってきます。しかも「天龍が入ってくれれば一番いいって」と。「今はシリーズも始まるから無理だけど時期が来たら1回会わせてください」と言ったら、本当に会えるらしい。田中八郎社長は「プロレス界を新しいものに変えたい」と熱っぽくSWSのことを語って「ぜひ天龍さんに」という感じです。

 SWSは日本初の企業主導のプロレス団体だった。恩人の馬場に報告しようとすぐ動いた。

「馬場さんに話していないからちょっと待ってください」とその場は終わり。すぐ新宿の京王プラザホテルの部屋をとり、馬場さんにご足労願いました。

馬場さんに「全日本をやめさせてください」と単刀直入に言うと「そんなこと言われると困るよ」と。「もうやめたいんですよ」と返すと「メガネスーパーにいくのか」と聞かれました。

それまで全然話してないのに察知しているわけです。びっくりしましたが、隠すこともないので話すと「行かれちゃ困るよ」と反対です。でもいろんなことが話せる仲でしたから「馬場さん、一回やめると言ったことを水に流し、やめるまで裸の付き合いができる人じゃないですよね」と聞いたら「それもそうだな」と言われました。

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