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阿修羅・原(左)と世界タッグ王座を奪取した(1988年8月29日、日本武道館)=東京スポーツ新聞社提供

阿修羅・原(左)と世界タッグ王座を奪取した(1988年8月29日、日本武道館)=東京スポーツ新聞社提供

「昭和のプロレス」を体現した人気レスラーで、65歳まで現役でリングに立ち続けた天龍源一郎氏の「仕事人秘録」。全日本プロレス「第三の男」がジャイアント馬場やジャンボ鶴田に挑戦状をたたきつけたきっかけを語ります。

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 1987年、全日本プロレスで「天龍革命」が起きた。最強のタッグパートナーだったジャンボ鶴田とたもとを分かち、「天龍同盟」を結成。主流派に反旗を翻した。

84年、新日本プロレスを飛び出した長州力が率いるジャパンプロレスが全日本のリングにやって来ました。これが全日本のまったりしたファンに刺激を与えました。刺激を受けちゃったから、長州がいなくなったときの落胆は大きい。またあの興奮を求めるようになります。

俺たちにも不満はありました。「ジャンボ鶴田が本気を出してやったら新日本なんかに負けるわけがない」。鬱憤を晴らすため、ジャンボと戦おうと。ちょうど人生が充実し、ファイトマネーも充実して、全てが合致したのが87年でした。体とファイトマネーがアンバランスだったらああならなかったでしょうね。

八方美人なんですよ。人によく思われたいというのは人間の根底にありますよね。やるなら人に一生懸命やっていると思われたい。

「自分のことをほめるのは自分しかいない」――。これは自分が考えた名文句だと思っていますが、うぬぼれるという意味ではなく、自分で自分のことをけなしてもしょうがない。自分で「よく頑張っているなあ」といえば常にプラスだという意味でしょうか。

 「革命」は始まった。馬場、鶴田ら全日本の本体と会場の移動など全て別で苦労は絶えない。支えたのはプライドだ。

パートナーの阿修羅・原もラグビー世界選抜に選ばれたくらいプライドのある人物でした。プロレスはラグビーやボクシングより上、相撲は少なくとも同等の格闘技という考えは一緒でした。彼は「源ちゃん、プロレスが殺し合いじゃないのはみんな理解しているが、最強だというところを見せようよ」と言ってくれました。

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