実は秋場所の始まる前までに親が5、6回福井からやってきて「幕内までいったのに(プロレス行きは)やめろよ」と部屋の親方と説得してくれました。そんな経緯があった後の秋場所の結果だったので正直気持ちは揺れていた。でも親方がしゃべっちゃえばそれまでですからね。
プロレスラー・天龍源一郎が誕生した。当時のプロレスはイメージしていたより新鮮だった。
相撲部屋の若い衆が見ているプロレスラーはジャンボ鶴田やミル・マスカラスです。鶴田を見て「こんな若い人がやっているんだ。スポーティーだな」と思いました。昔は空手チョップとか血を流したグレート東郷という時代。それが鶴田がスープレックスをやったりマスカラスは飛び技を使ったり。すごく新鮮に映りました。
全日本に入ったのは1976年10月、秋場所が終わってすぐ。練習場は世田谷区砧、今のNHK放送技術研究所の横です。
ゆったりした相撲部屋の感覚で全日本の練習場に行ったところ、すごく狭い。そこにリングが入っているのでさらに狭く感じます。「なんだこれは」というのが最初の驚きでした。
[日経産業新聞2018年3月16日付]
※天龍源一郎氏の「仕事人秘録セレクション」は水曜掲載です。次回は2019年1月16日の予定です。

てんりゅう・げんいちろう 本名・嶋田源一郎。1963年、福井県の勝山市立北部中学2年のときに二所ノ関部屋入門。76年廃業し、全日本プロレス入団。90年SWS移籍、92年WAR設立、98年からフリー。2010年天龍プロジェクト設立、15年現役引退。