「プロレスに来なよ」 馬場さんの誘いと相撲への未練
元プロレスラー 天龍源一郎氏(4)
関取・天龍(中)の断髪式で大いちょうにハサミを入れるジャイアント馬場=左(1976年12月)=東京スポーツ新聞社提供
「昭和のプロレス」を体現した人気レスラーで、65歳まで現役でリングに立ち続けた天龍源一郎氏の「仕事人秘録」。相撲からプロレス界への転向を決め、最後の場所を勝ち越しで終えた天龍関でしたが……。
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押尾川騒動から1年、全日本プロレス率いるジャイアント馬場と面会し、一大決心をした。
相撲部屋に居所がなくなり、嫌なことが重なり合って。実はもう一つ、そのとき付き合っていた女性が亡くなったんです。これで励みが、目標がなくなった。
知人を介したプロレスの話もあって、選択肢の一つだなと思ったときに「馬場さんと会ってみなよ」というので会ってみました。
東京ヒルトンホテル(現ザ・キャピトルホテル東急)に行くと馬場さんの車のすぐ後に俺のタクシーが着きます。「でけえなあ」と見上げると、馬場さんはにこっと笑って「おまえが天龍か」というのです。「悪い人じゃなさそうだ。いい人だな」と感じました。
その後は交渉です。仲介した人が「幕内までいった力士の条件は……」と話すと、馬場さんは「いいよ、いいよ」と全て「OK」です。近づいていた名古屋場所後に煮詰めて秋場所で最後という話になった。「場所終わったらプロレスに来なよ」「分かりました」。これでプロレス入りが決まりました。二所ノ関部屋の誰にも話していません。相談する相手もいなかった。話したら「待ってました」と言われるだろうし。
最後の場所は13日目で8勝5敗の勝ち越し。「ああよかった」と気が緩み2つ負けて8勝7敗でした。不思議なもので、秋場所後にプロレスに行くと馬場さんに言ったのに、「勝ち越しちゃったよ」と相撲に未練がある自分がいたんです。
中2から入ったこともあるし、もったいなあと。番付発表の2日前、煮え切らない俺を見て、親方は「天龍はプロレスにいくんだよ」とサンケイスポーツにしゃべっちゃって、ばっと1面に出ちゃった。「これでもう腹を決めなきゃいけない」と思いました。