STORY 伊勢半 vol.1

いつも夢を携えて、化粧品も企業もブランディング

伊勢半 開発本部本部長
池戸 和子さん

「うちで正社員として働いてみないか」。25年前、フリーのデザイナーとして営業に飛び込んだ先で、池戸和子さん(50)はこう誘われた。足を運んだのは老舗化粧品メーカー、伊勢半(東京・千代田)。思わぬ縁で入社した後、いくつものブランドを立ち上げ、ヒット作を世に送り出し、今は本部長として開発本部を束ねる。この間、ずっと心に刻んできたことがある。「夢・ビジョンを持って仕事する」

「なんとかなる」と楽観的に

「深刻な表情だと、周囲も暗くなる。『なんとかなる』と楽観的に進めていかないと」。池戸さんの言葉そのままに、開発本部に所属する71人は笑顔が絶えない。見れば職場にいる男性は4人だけで、残る多くの女性も3割近くは子育て中。フレックスタイムに育児時短勤務と制度が整い、育児休暇明けの復職率は100%、全員が復帰する。

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71人の開発本部を束ねる池戸和子さん。本部員のほとんどが女性だ

本部にはもう一つ、他社にない独自の仕組みがある。企画から実際の開発、化粧品を入れる容器の選択から店頭の販促活動に至るまで、「プランナー」と呼ぶ担当者がすべて関わることだ。作りたい商品を企画するだけでなく、「クリームのしっとり感をもっと出して」と研究本部に処方に関する要望を出す姿もよく目にする。先端的な人事制度と独自の開発システム。これこそ、1994年、25歳の池戸さんが入社した決め手でもあった。

家電販売店を営む両親の姿を見て育ち、「売るという仕事がしたい。それが自分で作ったモノだったら、もっと楽しい」とデザイナーの道に。文具や日用雑貨を扱うメーカーのデザイン部門勤務を経て、友人と2人で起業した。これまでの作品を手に営業活動を始め、訪れたのが伊勢半だった。

外部の取引先ではなく、仲間になってほしい。予想外の打診だったが、会社を観察すると興味がかきたてられた。職場は当時からフレックスタイム制を導入しており、「自分のスタイルで勤務ができる」と感じた。企画から店頭まですべて担当できるのも魅力的に映った。

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営業に訪れた伊勢半でスカウトされた

先輩の下で業務のイロハを学んだ後、2年ほどで美白をうたうスキンケア用品を任される。文具・日用雑貨とは全く違う世界。でも、楽観主義者らしく、プレッシャーは感じなかったと振り返る。「自分を含め、ターゲットゾーンが欲しい商品を作ればいい」。そんな心構えで挑んだ。

パッケージを工夫、印象強いブランド立ち上げ

スキンケア用品の次に担当となったのが、総合メークブランドだった。メーク用品はロングセラーを多数抱える、会社が最も競争力を持つ分野。しかも、決まっているのはブランド名だけ。コンセプト、品ぞろえなどを自由に考案できる幅広い裁量が与えられた。プレッシャーがかかる状況。でも、悩むことはなく、欲しいモノを作るという姿勢を貫いた。こう読んでもいた。「メークブランドは個性が際立つ方がよい。私の世界観さえブレなければ、大好きと支持してくれるファンが必ずできる」

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担当者は企画から店頭の販促まで一貫して関わる

数千円する高級品と異なり、伊勢半はドラッグストアなどで手軽に買えるセルフ化粧品を扱う。かけられるコストは限られる中で、思わず手が伸びる商品にするにはどうすればいいか。知恵を絞り、新たなアイデアを取り入れた。

その一つがパッケージだ。素材をこれまでの紙から透明なプラスチックに変更し、中身の色や本体をはっきり見えるようにした。商品ラインアップはネイルカラーだけでも40色をそろえた。専用の什器に並べると、迫力ある色が押し寄せる。「やった」。店頭で並ぶ様子を目にした際、充足感が体を貫いたという。

最前線に立つプランナーとして手掛けたブランドは10弱。どれを手掛けようと、夢・ビジョンは忘れなかった。「どれも色気を感じるようにする」。池戸さんは説明する。化粧の大きな目的は美しくなること。「だから、官能的な側面がないと、商品として魅力がないと思う」。コンセプトには表さなくても、どことなく色気が漂うことを意識した、と。

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試作品の修正を的確に指示

会社は一人で回らない

経験を積み、順調にキャリアを重ねていた32歳の時、ライフイベントが訪れた。結婚、出産だ。3年後には第二子が誕生。2度の出産、そして2度の産休・育休で、こう確信した。「仕事が好き。これからも働き続ける」。育休明けに復帰すると、当然のように忙しくなり、バタバタすることが増えた。その中で、効率を高めるすべを体得。優先順位を決め、周囲には助けを求めるようにした。

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2人の子育てを経て、仕事が好きだと確信した

私生活の転機。間を置かず、会社では新たなステージが用意された。2度目の育休が明けてから37歳で課長に昇進。担当者としてモノ作りに注力する立場から、組織全体を見渡す視点が求められた。そして、自分が企画し、育てたブランドは後輩に託す。「手を離すのがすごく寂しくて」。本音だった。「各ブランドをどのように導いていくのか考えるようにしよう」と納得させたと打ち明ける。

管理職になっても、深刻な顔をしない楽観主義は変わらなかった。部下とのスタンスもそのまま。ただ、より深く気付かされたことはあった。一つは社内外でのコミュニケーションの大切さだ。「急ぎでやってもらえない?」と他部署にお願いする場面で、どんな関係を相手と築いているかどうかで、結果が大きく左右される。「役職が上がるほどパイプ役をしっかりできないとダメ」。仕事、会社は一人では回らない。育休取得時にも感じたことが改めて心に刻まれた。

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常に和やか。深刻な表情はしない

そして、管理職だからこそ、ビジョン、夢を持つべきだとも思った。プランナー時代は色気のある商品を世に送り出した。課長としては「注力するブランドを選び出すと決めた」。当時、商品数はどんどん増えていた。どこかで歯止めをかけ、選択と集中に乗り出さないと、成長できないと気付いていた。時を同じくして、注力ブランドの広告を積極的に展開するという経営方針が決まり、池戸さんの目指す方向を後押しした。

誰もが憧れる会社目指す

5つの部署からなる開発本部の本部長に就いたのは2018年。見える風景はさらに広がった。所属する71人には折に触れ、池戸さんは伝える。「人間だから失敗はする。その後の行動が大切。間違いが起これば、すぐに情報を共有するように。隠せば隠すほど穴は大きくなる」

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「社員の夢・ビジョンの総和が、企業の見えない資産となる」

本部員の3割近くを占めるママ社員には、育児時短勤務制度をどんどん活用するようにと促す。それこそが、残った同僚のためになる。「今までの業務ができなくなったら、誰かにお願いする。任された人は喜べるはず。新しい仕事ができるチャンス、活躍できる、成長できる場を与えてもらったのだから」。だから、周囲に気兼ねする必要は全くないと強調する。

「社員の夢・ビジョンの総和が、企業の見えない資産となる」。池戸さんはそう確信している。だからこそ、役職に応じて夢、目標を掲げてきた。本部長としては。どのブランドもさらに磨きをかけるとともに、商品を束ねる総合ブランドであり、企業ブランドでもある「KISSME(キスミー)」の知名度を引き上げることが第一と力を込める。「さらなるグローバルブランドに育てたい」

そして、「多くの人に入社したいともっと思ってもらえる企業にしたい」。品質は揺るぎない、でも何か新しいことをする、面白いことができる、遊び心のある会社に。「誰もが憧れる存在になれば」。そう願っている。

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