STORY アフラック vol.5

励まされ支えられたキャリアと人生、部下をサポートできる管理職に

アフラック生命保険 埼玉総合支社 副支社長
中井 陽子さん

アフラック生命保険の埼玉総合支社(さいたま市大宮区)で副支社長を務める中井陽子さん(45)は自らのキャリアと人生について「いつも上司の温かな励ましに支えられてきた」と振り返る。2度の流産で落ち込んだとき、管理職への道をためらっていたとき。だからこそ今は自らが管理職として、部下を育て、部下の人生を少しでもサポートできる上司でありたいと心に刻み、かつての上司の背中を追っている。

「助け合い」への思い強く、高校時代にボランティア活動

大阪府内のカトリック系の女子校に通っていた高校時代。中井さんは日本有数の「ドヤ街」として知られる釜ヶ崎(大阪市西成区)で、職や住居を失った日雇い労働者が凍死している現実を学校の授業で知った。時はバブル経済の絶頂から崩壊に向かい始めた平成初期。「なぜ豊かな日本でこんな悲しい出来事が起きるのか」という、やるせない思いを募らせ、先生に「釜ヶ崎に連れていってほしい」と直訴した。凍死者を出さないための「夜回り」活動に参加し、屋外で寝ている人たちにおにぎりや毛布を配ったという。

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高校時代のボランティア活動を契機に、大学では日雇い労働者の現状を学んだ

社会学を専攻した大学での卒論テーマは「日雇い労働者の現状」。就職活動ではマスコミ、商社、流通など様々な業界を回る中で、「モノ」を扱う会社よりも「相互扶助」の考え方をベースにした保険業界がしっくりときた。誰かが困った時に、役に立つ仕組み。アフラックへの入社は、「何か自分にできることはないか」を探すために釜ヶ崎を訪れていた高校時代の思いとどこかつながっているという。男性・女性関係なく仕事を任され、「アソシエイツ」(販売代理店)と同じ目標を共有して営業するスタイルが気に入ったことも入社の決め手となった。

4年目で社長賞、「仕事にのめりこんだ」20代

1995年入社時、121人の同期のうち営業配属は11人で、女性は中井さんだけだった。配属先は大阪第二支社。体調を崩した先輩社員にかわり、急きょ大規模な代理店も担当することに。まだ営業現場に女性が珍しい時代。新人で女性の担当に対して、最初は営業先の抵抗感も強かった。

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初任地の大阪では淀屋橋、本町などオフィス街を駆け回った

それでもくじけることはなかった。営業先で問われたことにすぐ答えられなくても、会社に戻って必死に調べたり、周囲の先輩たちに質問したりして、新人なりに丁寧に回答することを愚直に繰り返した。毎年の営業目標を着実に達成したことが高く評価され、入社4年目に個人で社長賞を受賞。20代はとにかく「営業の面白さに目覚め、仕事にのめりこんだ」日々だったという。

独自戦略が全社展開に、東京の本社へ転勤

入社7年目に赴任した神戸の支社では、「会社人生で最大の転機」と振り返る成功体験をつかんだ。当時、アフラックにはがん保険につけられる医療特約の「特約MAX」という商品があった。この特約MAXはそれまで10年ごとに更新が必要だったが、これを終身保障へと変更できる仕組みが出来上がった。契約者にとってもメリットは大きい。しかし、まだこれを会社全体で推し進める機運はなかった。

中井さんは神戸の担当代理店とともに「ぜひこれは広めるべき」と意を決し、契約者にわかりやすく終身保障の利点を説明するため、オリジナルのダイレクトメール(DM)を作成し、案内した。すると案内を受けた契約者のうち約8割が終身保障に変更した。この取り組みは契約者との末長い付き合いに直結する成功事例として社内でも注目を集め、全国展開するべくプロジェクトが立ち上がった。

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独自に工夫してパンフレットを自作し、契約者の心をつかんだ

全社展開にあたって中井さんは、契約者向けに資料を制作する本社のダイレクトマーケティング部(現カスタマーリレーションサポート部)と緊密に連携した。当時の中井さんは支社の中で、担当している代理店や提携先が使いやすいように子ども向けや女性向けなど自身でカスタマイズして独自のパンフレットを作成していたが、「本社でパンフレットを作る立場になりたい」という意識が芽生え、日増しに強くなってきた。東京の本社で勤務して会社のことをもっと深く広く知り、提案の幅を広げたいという思いも高まっていた。一念発起してジョブポスティング(社内公募)制度に応募。入社9年目に本社のダイレクトマーケティング部に異動することになった。

2度の流産を経て念願の出産

契約者向けDMなどの制作が中心のダイレクトマーケティング部に2年間勤務し、2006年に幅広いマーケティング用資料の制作を担うツールサポート部に移った。仕事は順調だったが、この頃プライベートでは2度の流産を経験。気持ちが落ち込み、仕事との両立を含めて悩む中井さんを温かく励ましてくれたのが当時の女性の上司。「あなたは絶対にお母さんになれるから」と検査のための通院と仕事の両立を快くサポートしてくれた。そして3度目の妊娠で長女を無事出産。38歳だった。中井さんにとって長女は「かけがえのない奇跡的な存在」という。

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出産からの職場復帰直後、成長戦略の重要なミッションを背負うことに

育児休暇から復帰した約1カ月後、会社の成長戦略を練るために立ち上がったプロジェクトチームへの出向の辞令を受けた。中井さんが所属するチームはセールスを目的としたコールセンターを構築するミッション。ほぼ毎週、経営陣の前でプレゼンするなど緊張の日々が続いた。まだ長女に授乳をしている時期。つらかったのは「お先に失礼します」と口にする瞬間だった。他のチームメンバーが連日遅くまで激論を繰り広げる中、保育園に長女を迎えに行くため、午後5時ごろに退社しなくてはならなかった。

一夜で議論の方向が変わってしまうことも日常茶飯事。飛び交うメールを必死に読み解きながら議論の変遷を把握し、限られた時間の中で自分の強みを発揮すべく、資料作成をなるべく多く手がけるようにした。嵐のような5カ月弱でコールセンターの立ち上げ構想が完成した。

管理職昇進へのチャレンジを決意

その頃の中井さんは管理職一歩手前の課長代理。復帰直後は「課長代理になれただけで十分。あとは定年までやるべき仕事をこなして淡々と過ごしていこう」と思っていた。そんな胸の内を当時の上司の男性部長は見透かし、「アフラックは良い会社だと思う。だけど子どもがいる女性の管理職がほとんどいない。あなたはそれを目指しなさい」と熱く語りかけた。それまで中井さんはキャリアアップを全く考えていなかったというが、上司の言葉を聞き「子育てをしている自分が管理職になれば、他の女性たちにもチャンスが生まれるのでは」という思いが芽生え、管理職への昇進試験にチャレンジすることを決意した。長女はまだ2歳だった。

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2018年、埼玉総合支社に異動し15年ぶりの営業現場復帰

昇進試験をパスした中井さんは調査役として1年半過ごしたあと、課長に昇進。それまでとは全く畑違いの人事部で3年間にわたって社員教育を担当し、18年1月に埼玉総合支社の副支社長に就任した。11人の部下を抱え、担当する提携先の担当者と膝をつき合わせ保険商品の販売戦略を練る毎日だ。15年ぶりとなる営業現場への復帰。「アソシエイツや提携先が大切なビジネスパートナーという営業の本質は、15年前と全く変わっていない」というが、「ひたすら目標数字を追いかけるのではなく、プロセスに重点を置いたマネジメントが求められている」と役割の変化を実感している。

「人を育て、部下の人生をサポートできる上司」目指す

中井さんには今後アフラックでの目標が2つあるという。1つは「人を育てる」こと。高齢化が進んでいることで、保険会社は「日々進化する治療方法への対応が求められるとともに、お客様にとって『わかりやすさ』がより重要性を増している」。顧客のために「新しさ」と「わかりやすさ」を両立しながら、新たな価値を創造できる、そんな社員を育成したいという。

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いつか再びボランティア活動に取り組みたいという

もう1つの目標は、部下の人生をサポートできる上司であること。「決して順風満帆な軌跡ではなかった」という中井さん。2度の流産でくじけていた時も、管理職へのチャレンジをためらっていた時も、常に中井さんを励まし応援してくれたのは、身近にいた上司だった。「私もかつての自分を支えてくれたような上司でありたい」と誓う。高校時代のボランティア活動で抱いた「助け合い」への思いは今も変わらない。「いつの日か再びボランティア活動にも取り組みたい」と目を輝かせる。

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