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仕事人秘録セレクション

力士「天龍」、西前頭筆頭に 部屋の騒動で居場所失う 元プロレスラー、天龍源一郎氏(3)

2018/12/26

幕内時代の天龍(1982年9月)=東京スポーツ新聞社提供

「昭和のプロレス」を体現した人気レスラーで、65歳まで現役でリングに立ち続けた天龍源一郎氏の「仕事人秘録」。第3回は力士としての出世と二所ノ関部屋で起きた騒動について語ります。

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13歳から始まった相撲人生。時にうぬぼれ時に自己を冷静に見ていた。

地元の福井新聞では「未来の横綱・嶋田少年、大鵬の二所ノ関部屋に入門」と出ました。福井放送の社長からは「頑張ってこいよ」と5万円の餞別(せんべつ)です。月給が8000~1万円のときに会ったこともない地元の名士からです。「新聞載ったしお金もらったし、これはおめおめと帰れないな」と思いました。

「大鵬二世」と書かれ、うぬぼれていました。でも大鵬二世と呼ばれた人が6人いると後で聞きました。この部屋に入ればみんな二世と呼ばれたようです。中学卒業の年に半年間、相撲教習所に行きます。後の初代貴ノ花が一緒でした。当時三段目の僕が当たると、バネがあって強いなと思ったのが最初の印象です。

輪島さんもどんどん昇進し、僕は足踏みしていたときに自分の資質を疑いました。北の湖もすごかった。彼は僕より3つ年下だが一気に上にいきました。

1973年初場所で新入幕となります。貴ノ花や増井山ら今でいうイケメンの関取が出始めたころです。蔵前国技館を出るときに女の子5、6人が声を掛けてきます。俺も捨てたもんじゃないと思ったもんです。

西前頭筆頭まで出世したが、75年秋に二所ノ関部屋の「押尾川騒動」が起きる。

75年、僕の入ったときの師匠、大関佐賀ノ花(8代目二所ノ関親方)が急に亡くなりました。独立していた大鵬さんが戻るのか、元大関の大麒麟さん(押尾川親方)が戻って継ぐのかという話になります。そんななか同部屋の金剛が突然辞め部屋を継ぐことになり親方の娘との婚約発表です。

納得できない大麒麟さんが「俺たちは決起する。自分たちの主張を通すため谷中のお寺にこもる」と言って。15、16人いたんですかね、賛同者が。当日の朝は稽古せずにお寺にこもって2週間、秋場所直前まで続きました。理事長の決定は、秋場所が終わってから裁断を下す、というもの。その次の場所は僕らのうち半分が押尾川部屋、私は二所ノ関部屋です。

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