プライドはリングだけではありません。彼らから日々の暮らし方として他人に後ろ指を指されないようにすることを教えられました。ファンなどになめられることをするなよ、ということです。
全日本プロレスではジャイアント馬場、ジャンボ鶴田に次ぐ「第三の男」の座を確保しながら、反旗を翻したり、電撃的に退団したり。さらにあらゆる団体に参戦した。60歳をすぎても活躍し、ときに「レジェンド(伝説)」と呼ばれることもあった。
はっきり言って「レジェンド」の名称は嫌でしたね。自分は大相撲からやってきてそんなに器用なレスラーでもない。レジェンドと呼ばれるジャンボ鶴田選手やアントニオ猪木さんといった素晴らしいレスラーがいる。一緒にされるのは本当に嫌で、昭和のプロレスの方が好きです。
私は全日本以外にも様々な団体で戦いました。ショーを重視した「ハッスル」という団体で私も違和感だらけで試合をしたりしました。訳の分からない連中と戦ったりもしました。最後は自分の「天龍プロジェクト」という小さい団体も率いました。
大相撲の世界から全日本に転じ、たいへんお世話になったジャイアント馬場さんがいつも言っていました。「ど真ん中を歩く」と。
私はいろんな団体に出ました。ただ常にファンがどう見ているのか考えながら、ど真ん中を歩いてきたと思っています。私の中では変わらないプロレス人生、格闘技人生を全うしたつもり、そんな思いをかみしめています。
[日経産業新聞2018年3月13日付]
※天龍源一郎氏の「仕事人秘録セレクション」は水曜掲載です。

てんりゅう・げんいちろう 本名・嶋田源一郎。1963年、福井県の勝山市立北部中学2年のときに二所ノ関部屋入門。76年廃業し、全日本プロレス入団。90年SWS移籍、92年WAR設立、98年からフリー。2010年天龍プロジェクト設立、15年現役引退。