テレビのワイドショー番組も以前に比べ、芸能リポーターが主役ではなくなりつつある。 写真はイメージ=PIXTA平成最後の師走がもうそこまでやって来た。平成のおよそ30年間を振り返るにあたって、「この時代の大きな変化のほとんどはデジタル化(主にインターネット関連のテクノロジー)がもたらした」と多くの人が言うことだろう。
例を挙げればきりがないが、カセットテープやそれを聞くラジカセを所有するのは一部のマニアだけとなり(近ごろは再評価も進んでいる)、ダイヤル式電話はもとより、街中で公衆電話を見かけることが減り、テレホンカードを使う機会も減った。
「ワイドショーの人気リポーター」が「絶滅危惧種」と言われ始めたのは、20年前にあたる1998年(平成10年)ごろからだという。これも「ネットの進化」に深く関わるらしい。たくさんの情報に個人がアクセスできる時代の到来は、芸能情報をテレビの芸能リポーター経由で入手する必然性が下がることにもつながったからだ。
■芸能リポーターの出番が減った理由
今や「芸能情報にアクセス」どころか、SNS(交流サイト)を使えば、芸能人と直接やり取りすることさえ可能だ。リポーターの存在感が下がったかのようなことを言うと、井上公造さんのように現役でご活躍の芸能リポーターからお叱りを受けそうだが、では井上さん以外に「顔と名前が即座に一致する芸能リポーター」って、今、います?
1970年代初めから2000年ぐらいまでの約30年ほど、テレビ業界は芸能情報に重きを置いたワイドショー番組が茶の間の高い支持を受ける時代だった。そこで大活躍したのが芸能リポーターのみなさんだ。長老格とも言うべき、スポーツ新聞記者出身の鬼沢慶一さん、芸能リポーター界のスーパースターだった梨元勝さん、そのライバルと言われたフジテレビ専属の前田忠明さん、映画にも詳しい福岡翼さんなど、そうそうたる面々だ。
■異彩を放った辛口リポーター
そしてもう一人。某スーパーアイドルに「須藤さんがこの会見場にいるなら、僕、お話できませんから」とまで言わしめた、べらんめえな調子でズケズケと「相手が嫌がる質問」をぶつけた須藤甚一郎さんがいる。先日その須藤さんを電車の中でお見かけし、思わず声をかけた。
梶原「須藤さん、ご無沙汰してます、梶原です!」
須藤「おー! 梶原さん、どこ行くの?」
ご無沙汰もご無沙汰。テレビでご一緒したのは2回ほど、しかも20年も昔の話だ。その程度の関係なら、普通は見て見ぬ振りをするのがマナーというものだろう。
■売れっ子リポーターから区議会議員に転身
そもそも、私はまるで社交的ではなく、むしろ人見知りだ。なのになぜ満員電車で声を掛けたかと言えば、「魔が差した」というか、「懐かしいなあー」という気持ちのほうが勝ったからかもしれない。あの当時、テレビで見た「怖そうなおじさん」とは異なり、気さくで気働きの効く須藤さんが、ロケの長い待ち時間をとても楽しい一時に変えてくれたことを思い出したのだ。
偶然、同じ駅での乗り換えとなり、電車を降り、連絡先を交換し、「近々、情報交換でもしましょう」という「近々」が社交辞令に終わらず、先日実現した。
須藤さんがリポーターから区議会議員に転じたことは知っていた。だが、それは1999年とずいぶん昔のことで、現在は5期目、在職も20年近い。しかもまもなく80歳になる最古参議員だと聞き、時の流れの速さを実感した。
須藤「昭和46年(1971年)、『微笑』という女性週刊誌が創刊され、その記者になったころからテレビに出始め、本格的に『芸能リポーター』として認知されるのはもう少し先。テレビ朝日の『アフタヌーンショー』のレギュラーになってからですかね」
計算してみると、上に記した芸能情報ワイドショーの全盛期といえそうな「1970年代初めから2000年ぐらい」までの約30年ほどと、須藤さんのリポーター歴は、ほぼピッタリ重なっていた。
梶原「数あるリポーターの中でも須藤さんは『芸能人を責め立てる言いたい放題キャラ』とか言われて、ひんしゅくを買っていませんでしたか?」
須藤「ひんしゅくは買ってないんじゃないかなあ。本当のことしか言ってないから。まあ、目の前で『殺してやる!』とは言われたけどね」
梶原「やっぱり」
■訴えさせない言葉選びとは?
須藤「こう見えても、街中で若い女の子にじーっと見つめられたことだってあるのよ。僕に気があるのかな、なーんて思ってたら、あかんべーすんの。あれって愛情の印でしょう?」
梶原「いじめた芸能人のファンの子だったんじゃないかな」
須藤「いやいや、こっちは、いじめる気なんか、さらっさらないの! 意外だと思うかもしれないけど、ぼくはずるいところがあって、『コンプライアンス』なんてことが言われるずっと前から計算して言葉を選んで突っ込んでるわけ。だから、名誉毀損で訴えてやる、なんて言われても、実際に訴えられたことは一度もないの」
「ほんとかな」とつぶやく私に須藤さんは思わぬ例を挙げてきた。
■梨元勝さんが名誉毀損を免れた判決理由
須藤「あの梨(梨元勝)さんが名誉毀損で裁判やられたことだってあるというのに」
「恐縮です」「スイマセン」「ごめんなさい」と満面の笑み。今で言う「神対応」で取材する梨元さんですら訴えられたことがあるのに、自分はゼロだと、須藤さんは自慢げに語るのだ。
須藤「実際には新聞に掲載された梨さんのコメントが訴えの対象になったんだけど。まあ、結果は梨さんの勝ち。その時、裁判官がしゃれたことをいったんだよね。『A紙(某有名スポーツ紙)の載せた記事をそのまま鵜呑みにする読者がいるとは思えない』。いい話でしょう?」
何だかよく分からないが、ぶしつけに聞こえるかもしれない自分の物言いは、実は慎重に語彙を選択をしているから、過去に一度も舌禍を起こしていないと、須藤さんは強調するのだ。
須藤「たとえば最近の例でいえばね。区議会の場面で区長から明確な答弁がなかったから、いつもの調子で切り込んだわけ。『何だ区長! 間が抜けてるぞ』って。そしたら議場が騒然として、ある女性議員が「議長ー、議長ー! 今、須藤議員が区長は、まぬけだぞと言いました。まぬけは侮蔑的な言い方です。問題とすべきです」っていうのさ。僕はそういうときはしっかり用心して言葉を選んでるから、録音でも、議事録でも確認してもらったら全然問題ないわけ」
梶原「結果は?」
須藤「処分などの問題には、もちろんならず。だって実際『区長はまぬけだ』とは一言も言っていないんだもの。実際に言ったのは『区長、間が抜けてるぞ』。『まぬけ』は侮辱に当たるおそれがあるかもしれないけど、『間が抜けてる』はそういう意味じゃないって、辞書でチェックすればすぐ分かる」
■たった1文字で変わる意味
そう言われ、すかさず、スマートフォンに入れた辞書アプリで検索した私は「なーるほど」と感心してしまった。そこには両者のニュアンスの違いが明確に示されていたからだ。
「間が抜ける」の説明は「時や場合にあわず変な感じがする、あるべきものがなくて、変な感じがする」。そのニュアンスはあくまでも「変な感じ」にすぎない。
一方で「間抜け」は「することに抜かりのあるひと、とんま。例:間抜け野郎」とある。「間が抜ける」は「間抜け」に比べると、だいぶ「穏やかな表現」だと言えなくもない。
「芸能リポーターの黄金時代」が終わってすでに20年余りの歳月が流れるが、須藤甚一郎さんが芸能リポーター時代に築いた技はまだ生き続けているようだ。
※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は毎月第2、4木曜更新です。次回は2018年12月13日の予定です。
梶原しげる1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーに。92年からフリー。司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員。著書に「すべらない敬語」「まずは『ドジな話』をしなさい」など。 本コンテンツの無断転載、配信、共有利用を禁止します。