伝えたいコメの味わい 「コメを売る職人」目指す五ツ星お米マイスター シブヤ代表 渋谷梨絵さん

システムエンジニアとして夢中で働いた20歳代前半

社会に出た2000年代初頭はITバブル時代。大学でコンピューターサイエンスを学んだ私は新卒で大手通信系IT企業に就職し、システムエンジニアとして働きました。業界自体が新しかったのに加え、会社も若くて勢いがあり、皆が寝食を忘れて夢中で働いていました。やりがいも充実感もある一方で「食事もままならないこの生活は長くは続けられないかもしれない」と感じていた矢先、父ががんで倒れました。私は会社を辞め、闘病生活を支えながら米穀店を手伝うために実家に戻りました。20歳代半ばのことです。

父の闘病は多くのことを教えてくれました。父はお酒もたばこも好きで、食事にさほど気を使わず自由に生きてきた人。病気がわかってから、母は玄米や雑穀を使った料理を毎日工夫して作り、食生活を一新しました。しかし、病気になってから生活を変えても追いつかないのです。何十年も続けてきた不摂生を悔いても体は戻ってくれません。4年余りの闘病の末、父は亡くなりました。

幼いころからの食習慣や日々の食事がどれほど大切か。このときの経験が、コメ、雑穀、薬膳、発酵食など、今の私を支える知識の基礎となり、現在の活動の源になっています。

農家から煙たがられ、銀行からは融資してもらえず

米穀店の3代目として本格的に仕事を始めてみたものの、20歳代の女性が社長を名乗って取引したいと言っても、農家には煙たがられ、銀行からは融資を得られず、悔しい思いが続きました。

首都圏の百貨店内に展開している店舗「米処 結米屋(ゆめや)」

そこで、若くても、また女性であっても社会が認めてくれる一助になればと、「お米マイスター(日本米穀小売商業組合連合会認定)」という資格試験に挑戦。20歳代の女性で初となる(当時)最高資格「五ツ星お米マイスター」を取得しました。これがその後の事業の発展と幅広い活動の足がかりになりました。

コメについて学びながら、できるだけ生産地に通って農家の方々と顔を合わせ、店頭に立ちお客様の声に耳を傾けるうちに、作る人と食べる人の間にいる立場として、伝えることの重要性と「売る力」の必要性を痛感しました。

農家の方と話すようになってよく耳にしたのが「コメだけでは食っていけない」という言葉でした。コメ農家の方々の計算には自分たちの労賃が入っておらず、文字通り身を削ってコメ作りをしている人が多いのです。主食であるコメが正当に値付けされていないことに強い疑問を感じました。

コメをとりまく経済をきちんと成立させる。農家と一緒に生きていく。そう心に決め、「来年もコメ作りができる値段をつけてください」と言い続けています。そのうえで米穀店として商売を成り立たせ、自社の30人余りのスタッフを養っていくためには「売る力」が不可欠です。

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