今春、意外な企業がデジタル広告事業に名乗りを上げた。プリンターやカメラなどの精密機器メーカーとして知られるリコーだ。広告事業を展開するのは創業80年の歴史で初のこと。伝統的な製造会社であるリコーと遠い存在だった広告事業。その距離をグッと近づけたのが、全天球カメラ「THETA(シータ)」だった。

リコーは全天球カメラ「THETA」の事業モデル転換を狙う
リコーは全天球カメラ「THETA」の事業モデル転換を狙う

 リコーはSmartVision事業本部の下、デジタルカメラ事業のビジネスモデルを大きく転換しようとしている。その象徴が広告事業だ。リコーはTHETAの開発で培った360度撮影の技術を活用して、BtoB(企業向け)のデジタル事業を2018年から本格化した。領域は「広告」「VR(仮想現実)」「プラグインストア」の大きく3つ。現在、THETA事業の売り上げの大半をBtoC(消費者向け)が占めているが、20年にはBtoB事業を同規模まで引き上げたい考えだ。ハードウエアのコモディティー(汎用)化が進む中、ビジネスモデルを大きく変えることで生き残りの道を切り開こうとしている。

リコーは「THETA」で培った技術を基に3つの領域でBtoBのデジタル事業で稼ぐ
リコーは「THETA」で培った技術を基に3つの領域でBtoBのデジタル事業で稼ぐ

 THETAは13年にリコーが発売したスティック型のデジタルカメラ。本体にある2つの魚眼レンズで同時に撮影することで、ワンショットで360度撮影が可能な世界初のカメラとして発売された。スマートフォンに食われ、デジタルカメラ市場が大きく衰退する中、スマホとは全く違う価値を提供しなければ消費者には選ばれない。そうした危機感から開発されたのがTHETAだった。従来のカメラとは一線を画す存在として、発売当時から先進層の間で大きな話題を呼んだ。

ハードで稼ぎ続けるのは不可能

 好評を博す一方で、リコーは次の一手を模索していた。発売当時からハードウエアそのものはいずれコモディティー化が進み、機能面の競争力は失われることを見越していたからだ。「ハードで稼ぎ続けるのは不可能。360度撮影のカメラは特殊な技術を要するため、競合製品が登場してもすぐに追いつかれることはないかもしれないが、いずれは価格競争に陥る」とリコー執行役員の大谷渉SmartVision事業本部長は頭を悩ませていた。

 実際、18年時点で360度撮影が可能なカメラはサムスン、エレコム、中国のベンチャー企業深セン嵐鋒創視網絡科技(アラシビジョン)などさまざまな企業から発売されている。「(アラシビジョンの)『Insta360』などは非常にクオリティーが高い。逆によくここまでやるなという感じ」と大谷氏は舌を巻く。

 では、どのように戦おうというのか。核となるのが消費者向けのカメラで培った「THETA」ブランドと360度撮影の技術、そしてデータだ。リコーはそれらを組み合わせた、BtoBのサービスを新たな収益の柱に据える戦略を掲げる。

 そうした戦略から生まれた最初のサービスが広告事業だ。THETAで撮影した360度の写真と、AI(人工知能)を組み合わせた広告クリエイティブの制作から広告運用までを請け負うサービス「RICOH 360 for Ad」を18年3月に始めた。広告ベンチャーのヒトクセ(東京・新宿)を開発パートナーに迎え、独自の広告サービスとして開発した。利用料金は「運用おまかせプラン」は広告予算の25%を手数料として徴収する。制作費込みで50万円から請け負う。自社や代理店で運用する場合は広告クリエイティブ制作と配信タグの設定のみをリコーが請け負う「360度バナータグ利用プラン」を利用できる。こちらのプランはCPM(広告の表示回数1000回当たりの料金)60円となる。

約400万枚の写真を解析しAIに活用

 THETAで撮影された360度写真は、マウス操作やタッチ操作で写真を動かして全体を見渡せる。これを広告クリエイティブ上でも可能にする。例えば、旅行会社が観光スポットで撮影した360度写真を広告に使えば、より臨場感を与えられる広告クリエイティブを制作できるだろう。「360度写真を使うだけでも、新しい価値を広告主に提供できる」(大谷氏)。さらに広告に使う画像内から訴求すべき点をAIが自動で抽出し、その訴求点を強調する動きを付加する機能も開発した。これを可能にしたのが、リコーが保有するTHETA利用者が撮影した約400万枚の360度写真の解析データだ。

リコーは「THETA」の利用者が投稿した約400万の写真のデータを蓄積する
リコーは「THETA」の利用者が投稿した約400万の写真のデータを蓄積する

 THETAの発売当時、主要なSNSや動画共有サイトは360度写真の投稿に対応しておらず、利用者は撮影した写真を披露する場が限られた。そこでリコーはTHETAの利用者向けに、360度写真をアップロードして友人などに共有できるサービスを用意した。このサービスの利用者がこれまでアップロードした写真の総数は約400万に上る。さらに投稿された写真ごとに、どこが注視されているのかといったデータを解析した。この解析データをAIに学習データとして読み込ませることで、画像内から閲覧者の目を引く訴求点を自動抽出するアルゴリズムを開発した。


通常の360度バナー広告は単に回転するだけにとどまっている


動きのある子供を強調する動作をAIが加えることで閲覧者の目を引き効果を高める

 クリエイティブの新規性とデータに基づき閲覧者の目を引く動作を付加することで、高い広告効果の提供を狙う。現状は「Google ディスプレイ ネットワーク」など、360度写真に対応したプラットフォームが限られるため、配信ボリュームは稼げないものの効果は上々だ。これまでの配信実績から静止画の広告と比べて、CTR(クリック率)は1.5~2倍となるなど高い効果につながっているという。既に日本アイ・ビー・エムやテーマパーク事業のマザー牧場(千葉県富津市)などが採用しており、広告主からは引き合いも多く「広告事業は非常に好調」と大谷氏は顔を綻ばせる。

VRを組み合わせた新事業

 広告事業に続き、7月17日に提供を始めたのが360度写真とVRを組み合わせた不動産事業者向けサービス「RICOH360 VRステージング」だ。ホームステージングとはホーム(家)とステージング(演出)をかけ合わせた言葉で、不動産を販売する際にインテリアや家具などを配置し、モデルルームのような演出を施す販売手法のこと。RICOH360 VRステージングはバーチャルにホームステージングを実現する。

 利用企業がTHETAで撮影したマンションなどの部屋の写真に、リコーが画像処理を施すサービスだ。ファミリー、カップルといった想定顧客層や、子供部屋や書斎といった部屋の用途など、利用企業の用途に合わせてバーチャルなインテリアや家具を配置する。実際に配置するホームステージングと比較して、低コストで実現できるのが特徴だ。サイトに掲載するなどして物件情報の増強に活用したり、来店者にVRゴーグルで閲覧してもらったりして、不動産販売や賃貸利用の促進につなげられる。

 このサービスのアイデアの源泉は利用者だ。THETAを市場に投下すると、すぐに不動産事業者が部屋の写真の撮影に使い始めた。「想定はしていたが、自発的に活用が始まるということはそれだけニーズが強いことを示している」(大谷氏)と判断。付加価値としてVRを活用したステージング支援事業を開発した。販売促進策への360度写真の活用が進めば、その写真の広告転用が進むことも期待できる。RICOH360 VRステージングの利用料金は、1画像につき3万4800円からとなる。ただし、利用するにはTHETA利用者向けのクラウドサービス「THETA 360.biz」の有料プランに加入する必要がある。有料プランの料金は月額5000円から。

 そして、3つ目のサービスがTHETA向けに拡張ソフトを配信するプラグインストアだ。7月26日に配信予定の後編では、リコー版「App Store」とも言える同サービスを大解剖する。

(写真提供/リコー)

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