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最初に手掛けたのは給食センター。経営主体は変わったが、現在も事業は続いている(埼玉県川口市)

最初に手掛けたのは給食センター。経営主体は変わったが、現在も事業は続いている(埼玉県川口市)

立ちそば店「名代 富士そば」を創業した丹道夫(たん・みちお)氏の「暮らしを変えた立役者」。第10回では給食・弁当事業を立ち上げたころを振り返ります。

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弁当事業が順調に拡大

1961年春、埼玉県川口市に弁当工場を立ち上げました。工場といっても、愛媛県の実家を売ったお金で建てた家の敷地内。住居の横の4.5坪(約15平方メートル)の空き地に、トタンでまわりを囲い、屋根を付けただけの粗末な工場でした。トタンなどの資材は近所の製材所から分けてもらい自分でつくりました。

調理用の鍋や釜は東京・浅草の合羽橋商店街で現金で買い、弁当箱は知り合いからツケで仕入れました。配達に必要な車はダイハツ「ミゼット」。ローンで買おうとしたところ、保証人が必要と言われ困り果ててしまいました。栄養学校の恩師、五十嵐先生のところへ相談に行き、事業の説明をし終えると、「頑張っているんだね。いいよ、僕がなってあげるよ」。

先生が信用してくれたのは学生時代のある出来事があったからかもしれません。私は授業を休むときに、電話で別の生徒の名前をかたって「丹くんはきょう、病気で欠席します」と。すると五十嵐先生は「その声は丹くんだろ」と見破られてしまいました。その場はシラを切り通しましたが、すっきりしません。夜、先生の自宅に行き、土下座して謝ったのです。

起業するには、才能があるとか、実家が金持ちとか、何か特別なことが必要だと考えてはいないでしょうか。才能もなく、特段勉強もできなかった私ですが、人を裏切らず、まじめにコツコツやっていくことで、道は開けていったのです。

かみ合い始めた事業の歯車

会社名は東栄給食センター。私は外回りで、一緒に起業した神山さんが調理を分担しました。顧客開拓で狙ったのは鋳物工場です。大手メーカーから受注した機械部品の製造でどこも大忙し。当初1日3食で事業はスタートしましたが、半年もすると600食に。工場は3倍に広げましたが、すぐ手狭になり、隣の空き地を買ってさらに3倍。近所の主婦をパートに雇い、事業はどんどん大きくなっていきました。

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