空手形と消えた社長再登板 最後の仕事は憩いのカフェ
すかいらーく元社長 横川竟氏(21)
「高倉町珈琲」で食の価値を再構築する
すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。最終回となる第21回はすかいらーくを離れた今の夢を語ります。
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2008年8月、すかいらーくの社長を事実上解任されることが決まり、東京都武蔵野市の本部で社員にあいさつをした。「やったことは間違いないと思うので、辞任ではなく解任の道を選んだ。大変だと思うが、がんばってほしい」。そして、せっかく出資を決断してくださったサントリー社長(当時)の佐治信忠さんらへのあいさつに回った。
ところがみずほ銀行の関係者が私の元へ来て「銀行団として株式を取得できる可能性がある。そのときは再び登板をお願いするかもしれないので、待機してほしい」と言われた。このため東京・新宿のホテルの一室を借り、「きわむ元気塾」という活動を始めた。
金融の役割果たさず、むなしい幕切れ
当初は講演が中心だったが、これは「再登板」要請に対していつでも動ける準備でもあった。結局、銀行の思う通りには進まず、再登板はなかった。金融は企業を育てるはずが、食い物にした。損得勘定で動き、約束を守らなかった。銀行内での主導権争いも背景にあったと後に聞いた。「銀行、証券の役割とはなんなのか」。むなしさを覚えた。
ぐちぐち言っていても仕方がない。翌年には元気塾を会社に切り替え、セミナーを開いたり、外食経営者の相談を受けたり、「塾長」としての日々が続いた。
塾長として活動しているうちに、新たな外食店を始めたくなった。すかいらーく時代から取り組んでいた有機野菜をメーンとしたレストラン「元気な食卓」を10年、東京・新宿のビルに構えた。そして翌11年、東京都八王子市には有機野菜を中心とした直売所とレストランも作った。