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セカンドキャリアのすすめ

42歳で起業 いきなり本社をニューヨークにした理由 経営コンサルタント 阪本啓一

2018/5/16

仕事を辞めてすぐニューヨークへ向かったのには理由があった。 写真はイメージ=PIXTA

 転職や独立・起業してセカンドキャリアを始めるのに最適な年齢は何歳でしょう?

 ちなみに私は大手メーカーを辞め、コンサルタントとして独立起業したのが42歳でした。会社を退職した翌日、飛行機に乗り、米国・ニューヨークへ飛んで起業したのです。

 なぜニューヨークなのかについて簡単に言うと、「帰国子女作戦」です。日本で「コンサルタントとして独立しました!」と手を挙げたところで、優秀な人はいっぱいいらっしゃるし、米マッキンゼー・アンド・カンパニーや米ボストン・コンサルティング・グループ出身とか、スターバックスコーヒージャパンで何かやってましたとかいう「看板」があるわけでもない。目立てない。ブランド論で言うと、「とんがりの旗を立てられない」。

■「ニューヨーク発」を自己プロデュース

 ところが、「帰国子女」というと、何となくご利益がありそうである。そこで、ニューヨークに本社を構え、日本へは出張で行くというスタイルにしました。でもこの時点でのクライアントはゼロです。

 会社員時代、19年間建材の営業をやってきて、独立後の仕事はコンサルタントや著述業。経験した仕事の延長線にはない仕事です。野球選手が野球解説者になるのなら話はまだわかります。しかし、コンサルティングと建材を売る営業は一見、全く関係ないようにみえます。

 独立当時の私は、次のように考えていました。高額な退職金はない。会社の規定では、あと1年待てば大きく違っていたようですが、あくまで自己都合退社なので、びっくりするほど少ない。何やかや引かれて手元に残ったのが80万ほどでした(見間違えたかと思いました)。つまり、資金はない。

 米国に渡ってわかったのですが、あちらでブレーンワーク(頭脳を使ってする仕事)をしているコンサルタントやエンジニアは大学院修了やMBA(経営学修士)は当たり前、大卒の私の学歴なんて、ないに等しい。

 人脈もない。建材時代の人脈は頼らないと決めて名刺をすべて捨てたので、頼れない。ないないづくしでした。自分には「ないもの」ばかりだということはわかったわけです。

■自分で見つけた自分の強み

 では、「あるもの」は何だろう。

 建材営業をしていたころ、担当商品を1枚でも多く販売しようとしていた若いうちは思うほど売れませんでした。いくら足を棒にしても販売実績に結びつかなかったのです。

 ある時、自分の仕事の定義を見直しました。それは、「建材パネルを1枚でも多く販売する」ではなく、「顧客(設計事務所、ゼネコン、工務店)の事業支援である」としたのです。事業支援、つまり、「建物に私の製品を採用することで利益が増える→現場所長が社内でいい立場になる→リピートのお声がかかる」という仮説です。これに気づいたのが38歳か39歳か、ひょっとすると40歳になっていたかもしれません。いずれにせよ、年齢と経験を重ねた後です。

 「事業支援」の視点で自分の仕事を見直すと、視野が広がりました。以前は自分の担当製品しか見なかった図面ですが、全体を見るようになりましたし、案件ごとに「ミッション」があることにも気づきました。

■相手の「内なるニーズ」を探り当てる

 同時に、仕事のやり方も変わりました。たとえば、当時建設中だった関西国際空港の開港をにらんでオープンするホテルのミッションは竣工日厳守です。日銭商売であるうえ、空港開港に合わせて増えるであろう宿泊客を狙っているのですから。そこで、施工で難度の高そうな箇所への手当てをしっかり研究し、見積もり提出時に現場所長へアピールしました。

 現場のことですから、当然、予算はあります。このアピールによって高い価格で契約してくれるということはありませんが、それでも、「ここに任せれば、ミッションはクリアできそうだ」というプラスの印象を与えることには成功し、見事に受注しました。

 自分の強みは「気づく力」だと言語化しました。他の人も同じように見ているけれど、違う側面から光を当てることで気づく。あるいは、外側だけを見るのではなく、本質をあぶり出す。これができるようになったのは、繰り返しますが、年齢と経験を重ねたおかげです。コンサルティングや著述をするにあたり、「気づく力」で立ち向かっていこう。そう決めました。

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