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4兄弟は週1回の会議で顔を合わせていた。(左から)横川紀夫氏、横川端氏、茅野亮氏(2005年)

4兄弟は週1回の会議で顔を合わせていた。(左から)横川紀夫氏、横川端氏、茅野亮氏(2005年)

すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第18回はMBO(経営陣が参加する買収)を決断した事情を明かします。

◇  ◇  ◇

2005年、日本フードサービス協会(JF)の会長を務めているころのこと。創業4兄弟の決定機関「オーナー会」と、それが実質的に運営している「外食システム研究所(外研)」に大きな問題が持ち上がった。バブル期の債務が焦げ付こうとしていたのだ。

発端はすかいらーくが発行していた、300億円の新株予約権付社債(転換社債=CB)。証券会社の提案で調達した資金だ。それをそのまま、外研に貸す形で運用していた。

ところが運用に失敗してしまう。元手が消えた状態で、外研はすかいらーくに5%分の利子を払い続けなければならない。しかも外研はカジュアルレストランの「イエスタディ」、和食の「藍屋」、中華料理の「バーミヤン」など、10を超える業態開発の費用を負っていた。

この2つの大きな負担で、債務は膨れあがるばかり。4兄弟の株式とすかいらーくの信用を担保に、借り入れを繰り返した。

それだけではない。兄弟はそれぞれ自らの資産を担保に様々な個人事業を展開していた。ハワイやグアムのホテル、オーストラリアのゴルフ場の建設。東南アジアでのウナギの養殖場の開発もあった。私自身もカナダにゴルフ場を作っていた。50億円ほどかかっただろうか。

2001年に次兄の茅野亮(たすく)は、すかいらーく社長の座を伊東康孝に譲った。店舗数は増えていたが、価値作りが進まず既存店の客数が激減。残念ながら業績が低迷し、ピーク時に4500円だったすかいらーくの株価は1500円まで下落していた。これが兄弟を厳しい状況に追い込んだ。兄弟の一部の資産が株価低迷で担保割れし、対応を迫られることになったのだ。

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