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フリーアナウンサーの河西美紀さんは全く別の仕事に転職していた経験を持つ。

フリーアナウンサーの河西美紀さんは全く別の仕事に転職していた経験を持つ。

ラジオ番組のパーソナリティーや、司会、話し方レッスンなどを手掛けているフリーアナウンサーの河西美紀(かさい・みき)さんは転職経験者だ。全く違う仕事を経験し、再びアナウンスの仕事に戻ってきた。つまずきを乗り越えて、リセットに成功し、しなやかさを増した河西さんの仕事哲学を聞いた。

◇  ◇  ◇

言葉を声で伝える仕事をしています。ラジオ番組のパーソナリティーをはじめ、セミナー司会、ナレーションなどです。近頃は話し方を教える機会も増えました。大学・企業向けの話し方講座からご自宅でのプライベートレッスンまで引き受けています。

毎週金曜の朝8時から、「エフエム世田谷」で3時間の生放送を担当しているので、これを軸にスケジュールを決めていきます。ラジオの日は朝4時起きで6時過ぎには局入り。前日の木曜夜だけはお酒も控えめです。

司会の仕事は土日や夜が多く、仕事場所も全国にわたります。わずか数日の間に、八戸市(青森県)から、西宮市(兵庫県)まで、しかも東京と名古屋市などでも仕事をこなしながら大移動をするようなこともあります。喉はもちろん、体が資本の仕事です。

群馬の地で憧れのアナウンサーに

私にとってアナウンサーは中学時代から恋い焦がれた夢の職業でした。しかし、その門戸は狭く、就職活動では本当に苦労しました。東京都出身ですが、どこへでも入社試験を受けに行き、就職したのが群馬県前橋市にあるFMラジオ局でした。

40人程度の小さな放送局だったので、入社して間もなく担当番組を持つことができ、現場で仕事を覚えていきました。アナウンサーといっても、番組で話すだけではなく、取材も、原稿書きも、曲選びも、タイムキーパーもこなします。

番組内で扱うテーマも幅広く、まじめなニュースも読めば、街角でのリポートもする。イベント司会の仕事にもよく出かけていました。とても忙しかったですが、憧れの仕事に就けた喜びと若さにあふれていたので、毎日を全力で駆け抜けていました。

入社4年余りで退社 必要だったリセット

充実したアナウンサー生活を送っていたのですが、自分でも思いがけない展開から、26歳でラジオ局を辞めることになってしまいました。入社3年目ぐらいから、仕事の頑張りが空回りしているような、自分に自信を持てなくなるような出来事が重なり、精神的にまいってしまったのです。本番になればいつも通りにしゃべることはできるのですが、舞台裏ではオンエア直前まで気持ちがふさぎ込んでいたこともありました。

そんな時期に、あるリスナーさんからいただいた「いつも河西さんの番組を楽しみにしています」というお便りを見て、ありがたく思う一方で「この仕事が大好きで楽しくて始めたはずなのに今の自分は心から楽しめていない」という自分の本心に気付いてしまったのです。

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