シェアオフィスが増えて起業コストは下がってきたが、やはり毎月の出費は負担になる。写真はイメージ(東京都千代田区のウィーワーク丸の内北口)「机上の空論」とはよく言ったものです。頭ではわかっていたつもりだったのに、体験して初めて「こういうことだったか!」と合点することがあります。私にとっては、それが「資金繰り」でした。
資金管理に関する理屈については一通り理解していたつもりです。しかし、実際に起業してみると、理屈とはまるでちがう「現実」が次々に現れました。今回はそんな経験をもとに、人生100年時代における「資金繰りの心構え」についてお話ししましょう。
■資金繰りをめぐる厳しい現実
独立してまず思い知ったのが「都心の家賃は高い」ということです。立地の良い場所、きれいなビルを借りようとすると、これほど家賃が高いものかと驚きました。それまで勤め人だった私は、恥ずかしながら「オフィスの家賃」など意識することがなかったのです。
個人で起業すると、家賃はすべて自分の負担です。大枚の保証金を払ったうえ、高額の家賃が月々出ていきます。それは頭ではわかっていたつもりだったものの、現実の重みは全く違いました。
辞めてすぐに「勤め人はなんと幸せだったのだろう」と実感したことを覚えています。
家賃に加え、人を雇うと、これまた月々の人件費支払いがのしかかってきます。家賃も人件費も毎月出ていくので、資金繰りは「月次」で考えねばなりません。
この段階で教科書的な「キャッシュフロー計算書」とは別の世界があるんだと思い知るわけです。キャッシュフロー計算書は「年次」で作成されますが、現実の資金繰りは「月次」なのです。年間レベルで黒字だからといって安心はできません。それでも月次レベルで、「どこかの月は赤字」がありうるからです。
勤め人は毎月給料が振り込まれることを当たり前だと思っています。しかし、そこには必ず「払う側」の苦労があるわけですが、その苦労は、そちら側に回ってみないとわかりません。起業していきなり給料を「払う側」になった人の場合、資金繰り以前にその精神的重圧だけで参ってしまうケースが少なくありません。
■月次と年次、2つの資金繰り
払う側になるかならないかは別にして、資金繰りには「年次」と「月次」の2種類があると理解しておきましょう。
社長にとって資金繰りの基本は「月次」です。先ほど指摘したとおり、「年次」でキャッシュが黒字であっても、「月次」ではどこかで赤字、つまり資金不足が生じることがあります。私の場合にはこれが顕著でした。なぜなら自分のやりたい仕事が「毎月の収入」があるものではなく、不定期な「スポット」で収入のある仕事が多かったからです。
チームワークで動くプロジェクトなどスポット仕事の場合、入金は不定期です。プロジェクトが終了してからの「後払い」であることも少なくありません。しかし、家賃や給料は毎月出ていきます。すると、そこに「月々の資金繰り」という問題が発生するわけです。たんまり貯金があるなら別ですが、ほぼ資金ゼロで独立した私はこの「月々の資金繰り」を心配することになりました。
だからといって毎月入金のある仕事に手を出すのはやりたくない。さりとて、自分のやりたい仕事は入金が不安定。この現実を前にして、両者のバランスをとるのが「月次」の資金繰りです。
なんとか月次の資金繰りが回るようになっても、いつも自転車操業では心が晴れません。それでは何のために働いているのか、何のために独立したのかわかりません。
夢に向かって心に希望の火をともしつつ、仕事を変化させながら「年間」の資金繰りに余裕をつくっていく――。これが「年次」の資金繰りです。
結局、経営者の仕事とは、「月次の資金が不足しないように回しつつ、夢に向かって年次の資金を増やすこと」。これが私の体験的・資金繰りでした。
正直なところを白状しますと、月次と年次、この2種類の資金繰りが両方ともうまくいった記憶はほとんどありません。私が商売下手なだけかもしれませんが、必ず「どちらかがうまくいっているときはもう片方がだめ」なのです。
毎月の収入に恵まれて月次の資金繰りがうまくいっているときは、忙しすぎて将来への展望を失っていました。一方、将来について目標が定まり、夢と希望にあふれているときは、なぜか月次の資金繰りがうまくいきませんでした。
■不安定を楽しむぐらいの余裕を
半ば自己肯定のざれ言ですが、月次と年次の資金繰りは両立しなくてもいいと思います。どちらかがあれば生きていける。それどころか「こんなに不安定でも生きてこられた」という事実は先になってかなりの自信になります。
「不安定に強い」。これはセカンドキャリアを組み立てるうえですごく重要だと思います。それは世間でいう学歴とか成功を積み重ねたキャリアとは一風違った「しぶとさ」あるいは「タフさ」とでも言えそうな資質です。
気をつけたいのは、月次と年次の資金繰りは「どちらか」があれば生きていけますが、「両方失う」ことは避けたほうがいいということです。目先の金に追われ、将来の希望もなし。こうなると経済的・精神的にかなり厳しい状況に追い詰められます。
最近見かける「不本意なかたちで会社を辞めたサラリーマン」には、たまにそんな人がいます。この状態からは一刻も早く抜け出さねばなりません。
毎月のカネがないなら、せめてでっかい夢を持ちましょう。すばらしい夢があるなら、その日を信じて貧乏に耐えましょう。
起業を志す人の多くが「うまくいくこと」を前提にスタートしようとしますが、世の中、思ったとおりに物事は進みません。うまくいくための資金繰りスキルも大切ですが、それとは別に不安定を楽しめるタフな精神も大切です。人生、夢と絶望の戯れ。少しは不安定なほうが楽しいぐらいの気持ちでいこうじゃありませんか。
田中靖浩田中公認会計士事務所所長。1963年三重県出身。早稲田大学商学部卒。「笑いの取れる会計士」としてセミナー講師や執筆を行う一方、落語家・講談師とのコラボイベントも手がける。著書に「良い値決め 悪い値決め」「米軍式 人を動かすマネジメント」など。 ※「セカンドキャリアのすすめ」は水曜更新です。次回は2018年4月18日の予定です。

著者 : 田中 靖浩
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 1,512円 (税込み)
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