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80年代後半のメニューからは素材へのこだわりをお客様に訴えた

80年代後半のメニューからは素材へのこだわりをお客様に訴えた

すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第15回はすかいらーく再建に取り組みつつ、ジョナサン社長も兼ねた時期について振り返ります。

◇  ◇  ◇

1985年(昭和60年)にすかいらーくの統括専務になって事業部制を導入し、権限を事業部長に大幅に委譲。そしてメニューや店舗を刷新すると、すかいらーくの業績は一気に上向きとなった。バブル経済の影響も大きかったと思う。

91年、再び状況は変わった。4兄弟の決定機関「オーナー会」で「ジョナサンの業績が悪化したから立て直してほしい」と頼まれた。ジョナサンは手塩にかけて育てただけに愛着はあるが、すかいらーくの仕事にも未練がある。ただ、私たち兄弟は仲良く仕事をしようというのが基本。三男という立場ではしょうがないと諦めた。

すかいらーくの代表取締役専務を兼務する形でジョナサン社長に戻った。着手したのは新しい価値作り。「安全と健康」だ。まず有機野菜に取り組んだが、供給量がネックで200店近いジョナサン全店で売ることはできない。そこで商品を限定し、生で食べられるホウレンソウというのをメニューに導入した。

ある農家と契約し、ジョナサン用に3年間、化学肥料を使わない土地でホウレンソウを作ってもらい、サラダメニューで提供を始めた。イメージも良く、すごく売れた。

ところがその後、台風が来て有機ホウレンソウが雨で流れてしまった。社内では「有機にこだわらなければホウレンソウはたくさんある。普通のサラダとして売ろう」という意見もあった。

しかし、お客様に約束したのと違うものを出すのはウソになってしまう。やはり「品切れ」にすることを決めた。30日間か40日間か忘れたが「種をまいてこれから作るので、品切れになります」と店頭で告知した。

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