全店改装、3年で一気に すかいらーく再生へ一肌
すかいらーく元社長 横川竟氏(14)
事業部長や店長を集めたゴルフコンペ。すかいらーくの改革にあたって彼らの権限を厚くした
すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第14回はすかいらーくの立て直しに取り組んだ時期について振り返ります。
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5年でジョナサンを株式上場すると決めた。それまで年に4店だった新規出店を、昭和57年(1982年)、58年は一気に20店に増やした。そのころ、ある取引銀行の副頭取とゴルフをしたら「横川さん、2本借りてくれないか」と提案してきた。
ジョナサンは赤字だが、本体のすかいらーくはすでに資産規模は1000億円。安請け合いして「いいですよ、経理に伝えておきます」と返答した。その後、経理が私の所へ飛んできた。「20億円も借りてどうするんですか」と言う。あれ、こちらも2億円のつもりだったのに、1桁違った。困った。使い道がない。
金利は当時、5~6%。しょうがないから野村証券に頼んで20億円分の優良株を購入することを決めた。そしてジョナサンの累損を消せるぐらいの株価になったら、売る段取りにした。株の世界は分からない。野村の担当常務に任せて1社の購入株を選んだ。
ある日、東京都内でゴルフをしているとクラブハウスから呼び出しがかかった。電話に出ると野村の常務だった。「目安の株価になりましたが、どうしますか」。即決で株式を売却し、累損を一掃した。元手の20億円も不要だ。銀行に返そうとすると「もう少し使っててくれ」と言う。ちょうどカネ余りが生じ、融資先に困っていたんだろう。
昭和60年(85年)。ジョナサンは最終利益も出て、いよいよ上場準備だ。だが1つ問題が生じた。ジョナサンの代表取締役社長とすかいらーくの代表取締役を兼務していたが、上場すると、どちらかの代表権を外す必要があるという。もちろんすかいらーくの代表権者から降りるのが筋だ。