と言っても、ジョナサンを閉店するつもりで乗り込んだのが真相だ。赤字の会社を立て直すには10年はかかる。7人の創業メンバーを集め「将来性もないし、閉めようと思う。君たちはすかいらーくに戻したい」と伝えると、メンバーは「帰りたくない」と突っぱねる。しっぽを巻いて戻るのが屈辱的だったようだ。
説得しても応じないのでこう返した。「そこまで言うなら俺はやる。ただし条件がある。寝ないで働くか」と。すると「やります」「みんなでがんばりたい」という。
そうなったら前進あるのみ。「立地を変え、店舗デザインも売り場も一新するぞ」と号令をかけた。全面改良したジョナサンの店を東京・下赤塚に出店した。
出足はまずまずだったので、「5年後には上場する」との目標をぶち上げた。実際に毎年20店ずつ出し、社員は死に物狂いだった。20時間ぐらいは働いた。車の中で寝ている社員もいて、今で言うブラック企業どころではない。ブラックブラックだ。だが自分たちの店をどう成長させるかに燃え、労働条件など顧みる余裕もなかった。
ジョナサン独自の食材を開発し、コーヒーショップレストランにした。順調に出店しているとドトール・コーヒーの創業者の鳥羽博道さんがジョナサンの副社長を訪ねて来て「ジョナサンはコーヒーショップをやるのか」と切り出した。
「コーヒーショップですがレストランも24時間やります」と伝えると安心して帰ったそうだ。急成長していたので鳥羽さんも気になったのかもしれない。
[日経MJ(流通新聞)2016年9月23日付]
※「暮らしを変えた立役者」は金曜更新です。