競艇を含む公営競技(ギャンブル)では近年、若い女性の取り込みに力を入れている(埼玉県戸田市の戸田競艇場)「リケジョの聖地」とも言われるお茶の水女子大学理学部化学科で4年間学んだ成果を「プロトン交換速度(中略)水素結合(中略)相互作用」(長いから勝手に文字を8割削った)というタイトルの卒論にまとめた中村かなえさんは2016年、大学院への進学を勝ち取り、自身のテーマである「溶液化学の研究」をさらに深められる喜びに浸っていた。そして、程なく仲間入りすることになる大学院の研究室に頻繁に顔を出し、先輩院生とも親しく交わることとなった。
あるとき、先輩の一人が就職情報雑誌を開いて中村さんに話しかけてきた。
先輩「この間、かなえちゃんが競艇レーサーに憧れたことがあるって話聞いて、どういう仕事だろうとこの雑誌でみたら、競艇選手って国家資格なんだねえ、競争倍率すごい!」
中村「え? そうなんですか?」
■公言し続けた「競艇好き」
ラジオ番組にゲストとして招いて、話を聞いたところ、中村さんの「憧れ」は幼いころ、お母さんと一緒に自転車で遠出して土手の上から見下ろした江戸川競艇場を目の当たりにしたことがきっかけだった。6艇の小さなボートが、迫力あるエンジン音と水しぶきを上げながら、うわーっと一斉に迫ってくる。身体を斜めにして操縦するレーサー達の、抜きつさされつの、せめぎ合い。そのカッコいいことといったら!
母と娘は生まれて初めて見るエキサイティングなボートレースにしばし見とれたのだ。
「ママ、私、大人になったら、ああいう人になりたい!」
こんなとき、普通の母親なら「女の子には無理」とか「あれはスポーツじゃなくて公営ギャンブルなのよ」とか「見るのはいいけど乗るのは危険」と言ったりしがちだが、中村さんのお母さんは違った。
「すごーい! 素敵な夢ねえ」
娘と一緒に目を輝かせたのだそうだ。その後、母と娘は、足繁く競艇場へ通いました、とはならなかった。
とはいえその鮮烈な「競艇体験」は「一等賞を競い合い、奪いあうって、カッコいい」という強烈なメッセージを彼女の脳裏に埋め込んだようだ。そのおかげか、小学生時代、水泳クラブに通ったかなえさんは、「水泳そのもの」というより「水泳レースに出て競い合う」のが大好きな少女となり、様々な大会で大活躍した。
その後進んだ中学校では中間、期末テストの「全科目合計得点表示」で生徒達にナンバーワンを競わせるという「レース形式」を採用していた(良い悪いは別にして)。その「レース」に夢中になったかなえさんは「1着」を取りまくり、結果として、勉強大好きな乙女へと成長していった、らしい。
高校での「勉強レース」にはさらに拍車がかかり、彼女は学友たちとの切磋琢磨(せっさたくま)の競い合いを制し、とりわけ「数字」絡みの「数学」「物理」「化学」で突出した成績をあげた。「勉強大好き」の中村かなえさんの脳裏に埋め込まれた「一等賞を競い合う競艇魂」が消滅してはいなかったようだ。
そんなこともあって「スポーツで好きなのは何?」と問われると、子供のころから「競艇かなあ」と答えていたという。「ガリ勉」と「競艇」という「意外な組み合わせ」が「受けた」こともあるのだろう。その後もずっと「競艇好き」を公言していたらしい。
■競艇でも生きた「試験突破のスキル」
先輩の一人が「競艇」の文字を「就活情報誌で見つけた」と、かなえさんに声を掛けてきた。
先輩「競艇選手って人気職種なのねえ! 女子でもなれるんだ! しかも国家資格! 知ってた?」
中村「え? 国家資格? 初めて知りました……」
母と一緒に興奮して見た「ボートレーサー」。憧れはしたが自分がプロ野球選手やサッカー選手になれないように、競艇選手になどなれるわけもないと思っていた。それが、就活雑誌で「普通に募集していた」。しかも資格試験さえ通れば素人でも「なれるらしい」と聞いて心がざわついた。
自宅に帰りネットで募集要項を詳しく読めば、年齢、体重、視力0.8以上以外の制限がないようだ。プロスポーツ選手としての募集で、競技体験ゼロでOK、専門知識不要だとある。
中村「この私でも、試験をクリアしさえすれば、なれるんだ……」
心が妙に揺れはじめた。狭き門らしいが、「試験突破のスキル」は誰にも負けない自信が、かなえさんにはあった。
「受験しよう!」
「無謀な決意」を親に告げたが、答えは意外だった。
母「あら、すごいわねえ!」
父「せっかく大学院進学が決まったのに……。でも、決めちゃったんだろ?」
「世界一寛容な両親(かなえさん談)」の同意も得られた。かなえさんのチャレンジが始まった。
全国10カ所で行われる1次試験(学科・体力測定)、福岡のボートレーサー養成所で合宿して行われる2泊3日の2次試験、2次試験突破者だけでの同所でのさらなる合宿試験と続く。
彼女が受験したときの受験者数は1220人。ここから最終的に勝ち残ったのは男子20人、女子5人。倍率50倍近くの壁をかなえさんは突破した!
■知られざる養成所での暮らしぶり
彼女たちは「養成所」で3カ月の基礎訓練に加え、実際にボートを操縦しての応用訓練を学び、最後の「資格検定試験」をクリアし、「ボートレーサー」という「称号」を手に入れるまでおよそ1年、「俗世から遮断」された。
梶原「どんな感じでした?」
中村「男子は坊主頭、女子はショートカット。私もロングをばっさり切り落としました」
梶原「他は?」
中村「携帯、スマホ、PC、iPad、全て持ち込み禁止。電話は週1、日曜だけ公衆電話が使えます。当然、みんな並びますから長話不可。したがって、親や友達との唯一のコミュニケーションは、手紙です。友達の住所をあらかじめ聞いておくのを忘れると、音信不通で心配されます」
■体で覚える「秒単位の行動」
梶原「親との連絡は?」
中村「もちろん手紙。親子で手紙って、新鮮な体験でした。父や母の、直筆の文字の向こうに顔が見えてくるんですよね。母は、毎週必ず書いてきてくれました」
梶原「手紙といっしょに生写真が送られてくる?」
中村「手紙以外の、形のあるものをやり取りしてはならない決まりです。私、家では、モルモットのモルちゃんていうペットを飼っていて、別れて一番つらかったのはモルちゃんでした。親はひそかに彼の写真を薄い便せんに印刷して手紙として送ってくれました!」
梶原「所内のコミュニケーションは?」
中村「女性は5人。私のように現役の大学院生もいれば、現役高校生(15歳以上可)や、ついこの間まで女性警察官だった人もいて、いろんな話が聞けて楽しい!」
梶原「キツいことは?」
中村「起床6時は何でもないんですが、6時を1秒過ぎても、1秒早めてもダメという『全てを秒単位で行動する』という時間感覚が、最初は大変でした。レースは0コンマ0何秒の差で勝ち負けを競うんですから、今は当然な気もします」
梶原「うれしかったのは?」
中村「研修の全てが終わったところで『終了記念競走』というレースを同期生と競うんです。この日は親の参観が許され、その親の目の前で私が1着を取れたことです!」
彼女の、プロのボートレーサーとしての初戦は17年11月9日、強風で水面の荒れた東京平和島だったが、先輩レーサー達を相手に6艇中、5着同着。ビリを免れた、なかなかなスタートだ。
梶原「今後どうなりたいですか?」
中村「早く、舟券に絡めるようになりたいです」
1着2着3着の順番を当てる「3連単予想」のどれかに自分の乗る艇が「絡む」=「3着以内に入る」ことを狙うことを意味する「業界表現」もすっかり板に付いた中村選手。
「リケジョの転身」は案外、うまく行きそうな気がする。
※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は隔週木曜更新です。次回は2018年4月5日の予定です。
梶原しげる1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーに。92年からフリー。司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員。著書に「すべらない敬語」「まずは『ドジな話』をしなさい」など。 本コンテンツの無断転載、配信、共有利用を禁止します。