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消費が低迷した1975年前後、価格据え置きをアピールした

消費が低迷した1975年前後、価格据え置きをアピールした

すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第12回は社長を退いた事情を明かします。

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昭和53年(1978年)に株式を店頭公開すると、株価はソニーを超え、一気に資産価値は上昇した。社員にも株を50円、100円、200円、500円で分けていたので、初期のメンバーはそれなりに裕福になった。ある社員は東京都国立市に広い土地を購入し、親子3代で住んでいる。

会社は順調だったが、実はこの年、私は引退を決意することになる。有力な取引先が倒産し、6000万円ほど焦げ付いてしまった。当社の仕入れ担当者の管理が悪く、先方の資金繰りのために先払いして保管したはずのビールなどが倉庫にない。債権の回収もままならない状況だった。

そのあと、もう1回失敗している。メキシコに「カンタロープメロン」というおいしいメロンがあった。このメロンの半切りを280円で売ろうとしたら、1個も届かなかった。相手は「産地から飛行場までの橋が流されたので届かなかった」と言い訳したが真相は分からない。やはり数千万円の損失を出した。

4兄弟の話し合いで「責任をとれ」という結論になった。それこそ不眠不休で長年すかいらーく作りに奔走してきた。「もうかったときに特典はないのに、損したときだけ責任をとれとはおかしいぞ」と反論した。

「もうやめよう」。そう決心した。兄弟平等の原則は破られたし、会社の経営の方向性にも疑問が出ていた。もっと社員教育や商品開発、仕入れなど足元を固めなければいけないのに、どんどん地方に店を出そうとする。確かに売れていた。だが価値も作らずに店ばかり作ると、先行きとんでもないことになる。

すかいらーくは当初、売り上げと利益を多く出した店長には賞与で報いた。私は見ていないが、賞与の札束が立つこともあったとか。店長は働いて面倒見もよく、活気があったと思う。だが会社は規模拡大とともに徐々に私の意思とは離れていくようになる。

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