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すかいらーくの初期に作ったマニュアルの写真

すかいらーくの初期に作ったマニュアルの写真

すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第8回はすかいらーく創業初期の苦労話を語ります。

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非常勤ですかいらーくのメニュー作りを助けてくれることになった三井倶楽部の料理長、番場善勝さんの指導は厳しかった。当時、すかいらーくの料理は国分寺店(東京都国分寺市)がセントラルキッチン(CK)の役割を果たしていた。

番場さんにCKを見てもらうと「こんなことをやってうまくいくわけがないだろう。全部やり直し」と「赤点宣告」を受けた。ブラウンソース、ホワイトソース、トマトソース……。既存レシピはすべて否定された。

開業当初のすかいらーくはハンバーグとピザはまずまずだった。カラー写真付きのメニューを考案し、当時としては画期的だったと思う。

だが他のメニューはいまひとつ。番場さんの教えで基本をやり直した。ルーはバターと小麦粉をしっかりいためて作る。コーンクリームスープは裏ごししたコーンを入れる。素直に学ぶと味のレベルが格段に向上し、新メニューも相次いで出てきた。

メニュー作りもさることながら、開業当初は採算面に苦しんだ。例えば1号店の国立店は黒字の目安となる1日当たりの売上高が17万3000~17万5000円だった。土地・建物の購入に伴う借入金が、周囲から反対されるほど大きかったからだ。

次兄の茅野亮(たすく)がオープン前、チェーン経営の普及を目的とする「ペガサスクラブ」に所属する外食の社長に相談したことがあった。その一人が吉野家の創業者の松田瑞穂さんだった。

松田さんは「今の立地ではいいところ3万~5万円ぐらいしか売れない」という意見だった。松田さんだけでなく、それが業界の常識でもあった。

もちろん資産を購入してしまった以上、やめるわけにはいかない。まず開店時間を午前11時から同10時に前倒しし、閉店時間も3時間延ばした。郊外型レストランはまだ珍しく、店内客が少ないと通行人も入りづらい。そこでことぶき食品の従業員を「サクラ」として連れて行き、にぎわいを演出するなど涙ぐましい努力を続けた。

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