働き方・学び方

暮らしを変えた立役者

すかいらーく創業 担保代わりの生命保険1億円 すかいらーく元社長 横川竟氏(7)

2018/2/9

東京都府中市に開いた「すかいらーく」1号店。店名は市の鳥「ひばり」を英訳した

 すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第7回はファミリーレストラン「すかいらーく」第1号店のオープンについて語ります。

◇  ◇  ◇

 ファストフードで外食に進出することを決めた際、浮上したのが米マクドナルドとのライセンス契約だった。手持ちの資金力は乏しいし、とても実現できるとは思わなかった。

 だが交渉はしてみよう。兄弟の1人がチェーン経営の普及を目指す「ペガサスクラブ」の外食担当者に相談してみた。すると「3億円は必要」と厳しい条件だった。

 ことぶき食品の資産をすべて売っても4000万~5000万円程度。やはり手が届かない。その後もファストフード事業を始められないか検討したが、実現性は低い。結局、コーヒーショップ型のレストランで外食に進出することに決めた。1号店の住所は東京都府中市で、同市の「市の鳥」が「ひばり」。食料品店の1号店はひばりが丘にあった。それで英語でひばりを意味する「すかいらーく」と名付けた。

 土地・建物を購入しなければならないが、3000万円程度足りない。大手銀行との取引がなく、東京都田無市(現・西東京市)の農協に依頼した。融資の条件は食料品店の継続で、仕方なく繁盛しているところを見せようと農協の理事たちの前で特売に取り組んだ。

 承認は得られたが、失敗した時の担保がない。すると農協側は「1人1億円の生命保険に加入すること」を要求してきた。保険料は月給と同じ額で、誰も生活できない。そこで2年間、会社から生活費を借りる形にして何とかしのいだ。何はともあれ1970年(昭和45年)にすかいらーく1号店が無事オープンした。

 すかいらーくを出店する度に食料品店を閉める入れ替えを進めながら、3号店まで広がった。ところがやはり問題が起きた。コックだ。1号店オープン前にあるレストランのシェフに頼み込み、その人が5人でチームを作って入ってきた。

 我々4兄弟には残念ながらノウハウがない。レストランではシェフが全ての権限を持ち、仕入れ価格もメニューの値段も口を出せない状態だった。反対すると「じゃあ、全員辞めるから」と脅してくる。

 料理ができあがると「おい、早く持って行け」とののしる。こんなことをやっていては到底日本一なんかにはなれない。そこで食料品店時代からの従業員を調理の修業に出し、コック総入れ替えの準備を始めた。

 1年たつと、スキルを身につけ、厨房に入ることができた。あとはこちらのペースだ。コックたちの意見にノーと言えば、自然と辞めていく。逆に居残るメンバーもいたが、最終的に古株のコックたちは全員いなくなった。

 もっともそれぐらいでは付け焼き刃にすぎない。もっとおいしい料理を出すにはどうすればいいか悩んでいると、三井グループの会員制クラブ「三井倶楽部」の料理長の番場善勝さんを紹介された。根本的に調理を作り直さないと成功は望めない。何とか来てもらいたいと懇願したが、なかなか色よい返事は来ない。

 交渉が続く中、三井倶楽部の支配人と懇意になった。レストランの業界誌「月刊食堂」ですかいらーくの記事を読み、興味を持ってくれたらしい。支配人は「土日でいいから手伝ってくれないかと頼んでみたら」と助言してくれた。

 73年(昭和48)~74年(49年)だろうか。番場さんに日曜日に非常勤ですかいらーくを見てもらうことになった。

[日経MJ(流通新聞)2016年8月12日付]

※「暮らしを変えた立役者」は金曜更新です。

働き方・学び方

ALL CHANNEL