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東京都府中市に開いた「すかいらーく」1号店。店名は市の鳥「ひばり」を英訳した

東京都府中市に開いた「すかいらーく」1号店。店名は市の鳥「ひばり」を英訳した

すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第7回はファミリーレストラン「すかいらーく」第1号店のオープンについて語ります。

◇  ◇  ◇

ファストフードで外食に進出することを決めた際、浮上したのが米マクドナルドとのライセンス契約だった。手持ちの資金力は乏しいし、とても実現できるとは思わなかった。

だが交渉はしてみよう。兄弟の1人がチェーン経営の普及を目指す「ペガサスクラブ」の外食担当者に相談してみた。すると「3億円は必要」と厳しい条件だった。

ことぶき食品の資産をすべて売っても4000万~5000万円程度。やはり手が届かない。その後もファストフード事業を始められないか検討したが、実現性は低い。結局、コーヒーショップ型のレストランで外食に進出することに決めた。1号店の住所は東京都府中市で、同市の「市の鳥」が「ひばり」。食料品店の1号店はひばりが丘にあった。それで英語でひばりを意味する「すかいらーく」と名付けた。

土地・建物を購入しなければならないが、3000万円程度足りない。大手銀行との取引がなく、東京都田無市(現・西東京市)の農協に依頼した。融資の条件は食料品店の継続で、仕方なく繁盛しているところを見せようと農協の理事たちの前で特売に取り組んだ。

承認は得られたが、失敗した時の担保がない。すると農協側は「1人1億円の生命保険に加入すること」を要求してきた。保険料は月給と同じ額で、誰も生活できない。そこで2年間、会社から生活費を借りる形にして何とかしのいだ。何はともあれ1970年(昭和45年)にすかいらーく1号店が無事オープンした。

すかいらーくを出店する度に食料品店を閉める入れ替えを進めながら、3号店まで広がった。ところがやはり問題が起きた。コックだ。1号店オープン前にあるレストランのシェフに頼み込み、その人が5人でチームを作って入ってきた。

我々4兄弟には残念ながらノウハウがない。レストランではシェフが全ての権限を持ち、仕入れ価格もメニューの値段も口を出せない状態だった。反対すると「じゃあ、全員辞めるから」と脅してくる。

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