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ことぶき食品の社員旅行。6店まで増えたが閉店を余儀なくされた

ことぶき食品の社員旅行。6店まで増えたが閉店を余儀なくされた

すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第6回はその後の「すかいらーく」につながる外食事業の事業計画を練り上げ始めた時期について語ります。

◇  ◇  ◇

ことぶき食品が軌道に乗ってきた1968年(昭和43年)。6店目の国分寺店(東京都国分寺市)の近くで、ニセ白バイ警官による「3億円事件」が発生した。ちょうど店の中にいた時間で、警察から尋問を受けた。

全員調べられて、中には私生活の行動まで尾行された従業員もいた。何でも警視庁のもとへ「スポンサーもないのにあんなに店を出しているのは不正な資金のせいではないか」との投書があったとか。もちろん全員「シロ」だが、未解決事件だけに捜査員が足を運ぶ日が続いた。

実はことぶき食品にとって3億円事件以上に衝撃的な「事件」が起きた。国分寺駅前への西友の出店だ。量販店のオリンピックやスーパーのいなげやとの競争はしのいできたが、西友の力は想像を超えていた。

当時のことぶき食品は食品以外に化粧品や雑貨も扱っていた。雑貨だけでなく、得意とする鮮魚や精肉、加工食品まで品ぞろえと価格の両面で西友に負けてしまった。小さい店でも店長になると、業務分担が進み思うような運営ができなくなる。結局、組織の力と資金力で見劣りし、月商120万円だったのが30万円にまで落ち込んでしまった。

すぐに諦めた。「これは勝てない」と感覚で分かる。1週間で食品店をすべて閉めると決めた。そのとき実は外食をやるなんて決めていなかった。まずやめることが先決だった。

もっとも会社は借金だらけで、銀行は店を閉めさせてくれない。問題は次にどんな事業を始めるのか。東京や大阪のレストランを回ると「日本の外食産業のレベルは低い」と感じた。商売の中身はともかく、食の分野で日本一になることが兄弟4人の夢。今からでも間に合う、遅れている産業に参入しようと決めた。

候補に挙がったのがキャバレーと外食。キャバレーは「ハワイ」と「ロンドン」がチェーンを始めたぐらいだが、さすがに「水商売」過ぎる。築地での経験から食品への知識と料理には自信がある。弟も新宿のレストランで2年間厨房で働いていた。外食に決めた。

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