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4号店まで兄弟それぞれが店長を務めた(前列右端が本人)

4号店まで兄弟それぞれが店長を務めた(前列右端が本人)

すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第5回は4兄弟で協力し合った創業期について語ります。

◇  ◇  ◇

4兄弟で起業した食料品店「ことぶき食品」。兄を立てるのはいいが、そのままだと実質的に創業の準備に奔走した私と弟が不利になる。そんなことを考えていると、築地で働いていた時代に知り合ったある食品メーカーの創業者からの忠告を思い出した。

そのメーカーも兄弟で立ち上げ、もうかった分で兄弟で住む土地・建物を購入した。するとお金の使い方などを巡って妻同士の仲が悪くなり、片方が出て行ってしまったという。そこで「奥さんは近くに置くな、給料は同じにしろ、口出しをさせるな」という忠告を受けた。

兄たちは賛成したわけじゃないが、そこは押し切った。会社設立前、忠告の中身を少し変えて「奥さんは働かせない、子供は会社に入れない、給料は4等分」と決めた。

しかし途中、給料などいくつかの点で約束は破られてしまった。悔しさは残ったが、それでも4兄弟だからこそ、その後の成長に大きな力が発揮できたのは間違いない。

例えば長兄。商品や出店についてはあまり関わらないが、採用や人事、社員教育については大きな財産を残した。精工舎という大きなメーカー出身で、組合活動に熱心だった。このときの経験を生かし、その後の会社の成長に応じて賃金体系や労働時間などの仕組みをどんどん作っていった。おかげで他の外食チェーンより先進的な組織作りを進めることができた。

同時に長兄は文化人的というか、商売人とはひと味違う雰囲気だった。そのせいか、明治大学の先生などに好かれ、さまざまな大学の会議などに出席できた。おかげで創業間もないころから、大学卒の社員を多いときには160人ぐらい採用している。これも成長の原動力となった。

話はことぶき食品の昭和37年(1962年)のオープン時に戻る。誰がやってもつぶれる立地だったが、我々はひばりが丘のお客さんが何を求めているかを考えた。隣の八百屋が大根を半分に切って売っているのを見て、早速取り入れた。ノリも10枚入りの1帖(じょう)単位だと多いというお客さんの声があり、ばら売りにした。

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