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日野自動車の下義生社長とトラック

日野自動車の下義生社長とトラック

入社してから14年目の1994年から1年、岡山県のトラック販売会社に赴任した。

技術者が営業と顧客を回り、技術やサービスの要望を聞いて今後の商品開発に生かすという取り組みが始まりました。係長の私以外は部長級が赴任していました。後から聞いた話ですが、販売会社からは「うちを軽く見ているのか」と不満を漏らされたようです。

バス一筋だったので、トラックのエンジンやブレーキなど新入社員のように一から勉強しました。「この技術や機能はどうなっていますか」。若い営業マンと一緒に回ると、顧客から質問や要望が飛んできます。これを調べて説明するのです。販売の最前線の大変さを痛感しました。

99年から商品企画部で米国事業に携わる。日野の経営は厳しく米国では赤字が続いた。

日野は米国でエンジンの上に運転席があるタイプのトラックを販売し、苦戦していました。新しい排ガス規制が導入されることもあり、米国で人気の前方が突き出たボンネット型に参入するか、市場から撤退するかの選択を迫られました。

当時の企画担当の副社長に「専任チームがないと事業の可否を判断できない」と直訴しました。そうしたら「君がリーダーで」と、ボンネット型トラックの企画リーダーに任命されました。バス開発の際に学んだコスト管理を徹底しました。当時、米国専用車の部品はほぼ全量を日本から輸出して米国で組み立てていました。これでは関税や輸送費などコストがかさんでしまいます。現地で調達できる部品を洗い出し、何とか4割を現地で調達し収益を高めました。

北米専用車の立ち上げに成功。2002年に米国法人の上級副社長として赴任する。

効率化のため販売店の改廃に着手しました。赤字の販売会社の社員削減も避けられません。これが苦しかった。私の同僚だった米国人の部長が役員から解雇を告げられました。朝10時に役員の部屋で通告され「一切パソコンに触れるな、家にあるものは全部送り返せ」と言われるのです。

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