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「誰がやってもつぶれる」と言われた場所に店を構えた

「誰がやってもつぶれる」と言われた場所に店を構えた

すかいらーく元社長の横川竟(よこかわ・きわむ)氏の「暮らしを変えた立役者」。第4回はようやく独立して食料品店をオープンした頃について語ります。

突然、勤め先の食品問屋「つるや商店」が何の断りもなく、知らない人物に売られてしまった。新たなオーナーは「頑張って」と話しかけてきたが、怒りで切れてしまった。何の断りもなく売ってしまうなんて。「僕は関係ないので」と素っ気なく返事し、残り2人の従業員とともに辞めてしまった。

恐らく前のオーナーの服部さんが好調だった学校給食事業を広げるために、資金が欲しかったのだろう。こちらも同じ。何としてでもお金を稼ぎたい事情があったので、運送会社へ転職することになった。

事情とはつるやの前に勤めていた築地の食品問屋「伊勢龍」にいたときに決めた、将来の独立構想だ。そのときは弟(四男の紀夫氏)と2人で、会社設立のために2年間で25万円ためようと誓い合った。弟ははじめ東京急行電鉄で切符を売っていたが、その後は新宿の洋食屋で働くようになった。

そんな経緯から、運送屋では午前4時半から午後11時まで必死で働いていた。月4日の休日も返上するかわりに月給を3000円上げてもらった。他にも製粉や氷の運搬なども手伝い、月に2万5000円ほど稼いでいた。さすがに数カ月で体を壊し、週に1回は休むことに。その後も働き続けたが、結局18万円程度しか貯金ができなかった。

そこで海苔(のり)の投資で資金を増やすことにした。のりは長年、12月に安くなって、3月には値が上がるというパターンで相場が推移していた。そこで18万円分を購入し、のり屋に「25万円に上がったら売却してくれ」と依頼した。実際に相場は上昇したので、25万円を確保することに成功した。

当初は弟と2人で事業を興す予定だったが、実家のある長野県で働いていた長男(端氏)と農家の養子になった次男(茅野亮氏)も参加することになった。参加が最後になった長男は地元の名門企業、精工舎に務めていたが、病気になり長期入院。それが起業に加わるきっかけだった。

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