ライフコラム

梶原しげるの「しゃべりテク」

テレビ番組制作者を育てる苗床 350人の育成実績

2018/1/11

テレビ番組の制作スタッフは人手不足が続いているという =PIXTA

 「派遣 イメージ」。この2文字をキーワードにインターネット検索すると、これでもかといわんばかりに「ネガティブワード」が続々と出てくる。「人間の底辺」「将来どうするんだろう?」「就活の落ちこぼれ」「派遣切り」などの言葉が並ぶ。

 「へえ、やっぱり、そうなのか」と、興味をひかれた私はすでに「敵のわな」にはめられたことになる。実はこれらの言葉が躍っているのは、某大手派遣会社のサイトで、「そうお思いの方にこそ知ってほしい派遣の実態」といったトーンで「派遣は一般に思われているほどは悪くない」とでも言いたげな説明が熱く語られ始めるという、なかなか凝った宣伝になっている。

 私の「派遣」へのイメージを変えたのは、テレビ業界向けの人材育成会社「ブリングアップ史」の野田直史社長から聞いた話だった。野田氏は商社マンから電機メーカー技術者に転じ、幅広い職域で活躍し「スーパーサラリーマン」と呼ばれていた。

 そのころ、大学時代の親友から「ぜひうちの会社を手伝ってほしい」と言われた。野田氏にとってはまるで無縁だったテレビ番組制作会社だったが、「働く場」という点では変わらないと飛び込んだのが今の仕事へのきっかけとなった。

 野田氏が任されたのは「番組を制作するスタッフの再教育」だった。放送局だけで番組を作っていると思う人は今や少ないだろうが、念のため言っておく。一つの番組は発注元のテレビ局を中心に様々な制作会社や個人請負など、キャリアもバックグラウンドもバラバラな人たちが集められ、それぞれの流儀で腕を競い合う形で作り上げられていく。

 長寿番組ともなれば、自然に好ましい人間関係が形成されるが、思った成果が上がらないと、現場は一気に殺伐としてくる。サラリーマン局員同士なら「次」もあり得るから、まだ穏やかなものだが、一発勝負の外部制作者にとっては「命取り」ともいえる。制作者同士のあつれきも増して、メンタルな不調を訴える人だって出てきかねない。

 今から15年も前の当時、「制作会社に就職した若手の9割がやめてしまう」という「AD(アシスタントディレクター)の慢性的な不足問題」はすでに深刻化していた。そこで野田氏がつくったのが「テレビ番組を作ることより社会に通じる若者を育てる学校=人材育成を目指す派遣会社」だった。

野田「テレビ離れとかいわれながらも、テレビ現場で働きたいという若者は依然として多い。そういう人を新卒正社員として採用し3年かけて一人前に育てます」

 「なーんだ、それじゃあ、最近よくある、テレビ局向け派遣会社といっしょじゃん?」。そう思われる人がいるかもしれないが、実際はだいぶ違う。

■「ブリングアップ史」流の適材適所

 野田氏による全国主要都市での説明会には毎回、大勢の若者が足を運ぶ。野田氏は放送現場の現状を包み隠さず明かすところから話し始めるのだそうだ。

 「一般企業では上司の仕事は部下を育てることとまでいわれるが、放送現場は複数の制作会社、フリーのディレクターが入り交じり、秒単位で追われ、下を育てる余裕などまるでない。使える人だけ残ればいい。邪魔だけはしてほしくないって、これが本音。配属された現場で仕事のイロハを手取り足取り教えてくれるわけもない」

 「ADは君だけじゃない。先輩の動きを察知してうまく立ち回る人だっている。そういう人を前にぼうぜんとする。孤独な人間関係に耐えられなくなって失踪するものもいる。結果として若い人は使い捨てにされる。この業界の離職率の高さの原因にテレビの人は気付いていない可能性がある」

 まるで「テレビを目指さないほうがよい」と訴えているようなものだ。「憧れの職場って、そんなとこなのか?!」と、早々にしっぽを巻いて逃げる受講生も当然いるが、「だからこそ面白そうだ」と感じる学生もいる。そんな意欲を持つ学生が親に相談すると大抵は猛反対にあうそうだ。

「テレビなんかじゃなくて、もっとまともな職業をえらびなさい!」

 テレビ業界の体質が批判されるきっかけとなった番組『あるある大事典』以来、彼らの親世代(現在40歳代半ば~50歳代半ば)はテレビ職場は「ブラックに違いない」と信じる傾向にあるようだ。

 「親が望まない就職」は素直に避けるタイプの学生は親の反対を受けた時点で多くがテレビを断念するという。近年は女子のほうが自分の志を貫く傾向にあるのだそうだ。言われてみれば私の印象でも最近テレビの収録では女性ADが珍しくなくなっていた。

 説明会を終え、最終的に毎年40人ほどの「勇気ある若者」が東京・新橋にあるブリングアップ史の本社研修室に集まる。入社が決まると、2週間にわたって「社会人として生き抜く技」としての対人スキルをたたき込まれる。同社では研修とカウンセリングを通じて、本人の特性を見極めて、「本人にとっての憧れの番組」ではなく、「本人と相性のよさそうな『卒業生』の所属する制作会社」を紹介する。

野田「配属は適材適所が肝心。これを間違うと、彼らの人生を狂わせてしまう」

■派遣先の制作会社を「嫁ぎ先」と呼ぶ意識

 研修を終えた若者たちはいったん、ブリングアップ史の社員となったうえで3年後に正社員として彼らを迎えることを約束したテレビ番組制作会社に「転籍」する。つまり、派遣された先の番組制作会社の「正社員」となる時点で、ブリングアップ史から離れるわけだ。派遣先の制作会社に転籍するまでの3年間は、ブリングアップ史の社員として収入を得ながらの職場内訓練(OJT)を体験するとも考えられよう。

 ちなみに彼らが3年後、「制作会社の社員となる際、一般的には派遣した企業側が年収の半分程度の「紹介料(結構な額!)」を受け取るのが普通とされるが、野田氏はこれを受け取らない。

梶原「もったいない! 私なら絶対もらう! なんでまた?」

野田「正当な対価だとは分かっているが、なんだかしっくりこないんですよ。それに、当社を『卒業』した後、困りごとや当社イベントなどでなんだかんだと助けてもらうときもある。卒業生の先輩と現役(1~3年目)の後輩という縦軸を作る。つまり、当社独自の組織をつくることがモットーなんです」

 あっさりしたものだ。

野田「この業界は、もちろんお金で回っているわけですが、人間で回っているという部分が大きい。うちみたいなビジネスモデルがあってもいいと思うんです。僕はうちの会社を『実家』、派遣先で後に正社員として迎えられた制作会社を『嫁ぎ先』と呼んでいるんです」

 「こうも言います。『結局、お前ら嫁ぐんやから、実家にいるうちにしっかり稽古事なんかもやっとくんやで。向こうへ行った後、嫁ぎ先で言いにくいことあったら、実家のおやじに言いに来いや』。実際やってきますよ、彼ら。実家でぼやいているうち、元気になって、嫁ぎ先に戻っていきよる。嫁がせたのが350人。一番上が39歳。みんな第一線で頑張ってくれている。ありがたいもんですなあ」

 「派遣 実家」で検索すると、「嫁ぎ先」と、そのうち出てくるかもしれない。

※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は隔週木曜更新です。次回は2018年1月25日の予定です。

梶原しげる
 1950年生まれ。早稲田大学卒業後、文化放送のアナウンサーに。92年からフリー。司会業を中心に活躍中。東京成徳大学客員教授(心理学修士)。「日本語検定」審議委員。著書に「すべらない敬語」「まずは『ドジな話』をしなさい」など。

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