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転職を経験してキャリアアップする人が増えてきた =PIXTA

転職を経験してキャリアアップする人が増えてきた =PIXTA

18番ホールのグリーン奥。次々と上がってくる社長たちに「お疲れ様でした! スコアカードをお預かりします」と声をかけ、カードを受け取ります。私たち事務方が集計し、順位をつけるためです。次に来た人は、同期のN君でした。つい、手を引っ込めたくなりますが、そこは大人、つくり笑顔でカードを受け取りました。

当時、私が勤務していた旭化成(現旭化成建材)では年に1回、販売店社長を招いてヘーベルオーナー会議を開催し、翌日は懇親ゴルフ大会を開きます。同期のN君は会議、ゴルフ共にメンバーとして参加。一方、私は事務方として裏方仕事をこなしていました。N君とは同期入社なのに、なぜこういう扱いの差になるかと言うと、私は昇進が1周遅れだったからです。

今はわかりませんが、当時の旭化成では大卒入社で職階がC1から始まります。C2、C3と進み、次がD、そしてE。DとEが管理職になる分かれ目で、Eになると残業がつかなくなり、部下がつきます。ついでに、差もつきます。

理由不明の「周回遅れ」

N君は順当にお声がかかりましたが、私は1年待ちました。理由? 不明です。他にも上がった者、私と同じように据え置かれた者に二分されました。上がった者がなぜ上がったのか、据え置き組がなぜ据え置かれたのか、理由はわかりませんでした。

私は今思っても、特に大きな失策をして会社に損害を与えたという記憶もありません。でも、若かったこともあり、あれこれうじうじ考えたものです。「自分は広島という地方勤務だから」とか「あの1件がまだ尾をひいているのか」とか。

Eでついた周回遅れは、そのままずっとついてまわりました。逆転はありませんでした。

普段の仕事で意識することはありませんでした。でも、オーナー会議で差をはっきりとリアルに見せつけられました。

もしタイムマシンがあったら、グリーン脇でいじけながらカードを集めている当時の私に、言ってやりたい。

「人生二毛作、三毛作だよ。周回遅れなんて関係ない。今味わっているその気持ちが、20年後、原稿のネタになるんだよ」

メルマガから始まった副業生活

私は1995年(当時37歳)にメールマガジンを発行し、マーケティングエッセイを週刊で書いていました。同じ時期、パソコン通信のニフティサーブ内マーケティング・フォーラムで「Surfrider」というハンドルネームを使って積極的に発言し、毒舌キャラで有名人になりました。フォーラムのメンバーが読者になってくれました。メルマガ発刊サービスを利用し、一時は1万5000人の読者がいました。

その縁でビジネススクールの「グロービス」からカリキュラム作成の仕事や、講師の依頼があり、平日は旭化成の主力商品「ヘーベル」の営業、週末はエッセイを書いたり講師をしたりという副業生活が始まりました。考えてみれば、この時既に人生の二毛作が始まっていたのです。

98年末にメルマガで「サンフランシスコで忘年会やりませんか」と呼びかけたところ、現地在住の読者4人から手が挙がりました。私は『エクセレント・カンパニー』の著者であるトム・ピーターズ氏の熱心なファンで、彼のオフィスが米スタンフォード大学で有名なパロアルトにあることを知り、それなら行ってみなければなるまい、ついでにサンフランシスコでメルマガ読者と忘年会としゃれこもうと考え、年末の冬休みを利用してサンフランシスコへ飛びました。もちろん、会社からは費用は出ないので、ボーナスから捻出しました。ピーターズ氏のオフィスに行ったお話は、また後日、この連載で触れます。

現地の起業家Mさんと意気投合し、またどこかへ一緒に行きましょうかとなって、翌年のゴールデンウイークを利用してニューヨークで合流。そこから新しいドアが開きました。サンフランシスコ、シリコンバレーに実際に触れたことが、私の三毛作目、つまり、独立起業のきっかけになりました。

社外へ目を向けると楽になる

思えば当時の私は「1周遅れ」がずっと刺さっていたんですね。探せど理由は見つからない。人間、見えないものに不安を感じるものです。そして、自分のことは棚に上げて、会社を逆恨みしていました。でも、今、経営者の立場になるとわかります。会社にもいろいろな事情がある。用意できる役職の数には限りがある。社員本人には由来しない何らかの理由で、周回遅れのランナーが出てしまうものです。とはいえ、当時の私はそれを受けいれるだけの度量がなかった。

ニフティサーブは会社の壁を超えて、個人の「芸」の世界でした。そこで有名人になることが、会社でのもやもやを忘れさせてくれました。でも、刺さったトゲは消えはしませんでした。なぜなら、当時の私は、やはり自分の会社に誇りを持っていたし、好きだったからです。旭化成に内定が決まったときの母の喜んだ顔がうれしかった。好きなのに、周回遅れ。なぜだ?

「会社の中の役職で自分の力量を測定する」というしっぽ。このしっぽは相当根深いものです。なぜならニフティサーブの中でも、「自分の階層」をつい、考えてしまっていました。犬は世界を「自分より上か下か」で認識すると聞いたことがあります。会社員(特に男性)はまさにこの犬に近い世界の認識法が身体に染み込んでしまっています。

しかし、役職と力量は関数ではありません。断言します。それより大事なことがあります。社内から外へ目を向けることです。SNSに積極的に参加して発言するなり、発言しないまでも、他の業界の人の動きを見ているだけでも違います。

仕事の本質をとらえ蓄積する

現在、コンサルタントとしてクライアント社長の悩み相談に向き合えるのは、考えてみれば、ヘーベル営業時代の蓄積のおかげです。担当する販売店社長の悩み、たとえば「新入社員がすぐに辞めてしまう。どうしたらいいだろう」「競合が安値攻勢をかけてきて困っている」といったものに向き合い、一緒に解を探していました。

当時の私は「ヘーベルを拡販するために乗り越える問題」ととらえていましたが、本質は、中小企業経営につきものの問題だったのです。それらの蓄積が今の私の頭脳になってくれています。そしてこの「仕事を本質でとらえ蓄積する」ために役職は不要なのです。

人生二毛作、三毛作の時代です。大事なことは定年を「終わり」「上がり」とはとらえないことです。むしろ「出発」ととらえる。そして、これまでの長い会社生活を「蓄積」ととらえる。「会社を辞めざるを得ないから起業」ではなく、「これまで蓄積してきたことを使って、会社の外で試してみる」ぐらいの心構えでいきましょう。

「セカンドキャリアのすすめ」は水曜更新です。次回は1月17日の予定です。

阪本啓一 経営コンサルタント、ブランドクリエイター。1958年生まれ。大阪大学人間科学部卒。旭化成で建材営業に従事したのち、2000年に独立。経営コンサルティング会社「JOYWOW」を創業。著書に『「こんなもの誰が買うの?」がブランドになる』など。

「こんなもの誰が買うの?」がブランドになる 共感から始まる顧客価値創造

著者 : 阪本 啓一
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 1,728円 (税込み)

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