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米国勤務時代に同僚たちと(後列右から4人目が熊谷氏)

米国勤務時代に同僚たちと(後列右から4人目が熊谷氏)

1998年、GEジャパンの熊谷昭彦社長兼最高経営責任者(CEO、60)は初めての米国勤務で悪戦苦闘していた。たどり着いた結論は「日本流」への回帰だった。

言い争いに終始して決裂した原材料の値上げ交渉は大失敗でした。しばらく悩み、私はアプローチを変えようと心に決めました。前回と同じように顧客の購買担当者は大声でまくし立ててきましたが、黙って聞くことにしたのです。向こうがしゃべり疲れたころ、自分のペースでゆっくりとこちらの話を始めました。

「おっしゃることはごもっともですが、私も一介のサラリーマンです。このまま帰れば上司が怒ります」。あんなに怒っていた相手が、半分ですがこちらの要求をのんでくれました。一番驚いたのは同席していた米国人の部下でしたね。自分は米国人にはなれません。以来、「Be Yourself(自分らしく)」がモットーになりました。

商社マンの父に連れられ、小、中学校時代を欧州で過ごした。一度は三井物産に入社したものの、ゼネラル・エレクトリック(GE)から誘われての転職に違和感はなかった。海外の居心地の良さを知っていたからだ。

米国の営業マンは日本に比べ個人プレーです。GEプラスチックスの本社はマサチューセッツ州にあり、私がGMを務めた北東地域では全員が集まれるのは年に2~3回でした。それでも会えば自然にそのまま食事に行って盛り上がりました。できるだけチームワークの良い組織にしようと心がけたのを覚えています。

GEでジャック・ウェルチや現CEOのジェフ・イメルトら、個性の強い経営者の背中を見て経験を積んだ。熊谷氏は13年、満を持して日本GE(現GEジャパン)のCEOに就いた。

ウェルチは鋭い目をして頭も切れ、決断の速いカリスマリーダーでした。イメルトは人の話をよく聞くタイプですが、決断の厳しさはウェルチ以上かもしれません。GEは家電や金融事業からも撤退し、重電機器やデジタルに特化しました。今ではBtoCはほとんど何もやっていません。

初の管理職や社長職を経験させてくれたGEプラスチックスは既に売却され存在しません。ただ日本にとってGEがまい進するデジタル路線はチャンスでもあります。「さあ日本、どうする?」と言われている気がします。

あのころ
 ジェフ・イメルトCEOの指揮の下、GEは選択と集中を加速させていた。2008年のリーマン・ショックを教訓に金融子会社や遊休不動産を大胆に売却する一方、15年には仏アルストムの重電部門を三菱重工業などとの争奪戦の末に買収。あらゆるモノがネットにつながるIoTの活用によるデジタル重視路線も鮮明にした。
[日本経済新聞朝刊2017年3月14日付]

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