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私の課長時代

「1セントも値上げ認めない」 商談でもめ退散 GEジャパン社長 熊谷昭彦氏(上)

2018/1/14

■GEジャパンの熊谷昭彦社長兼最高経営責任者(CEO、60)は三井物産から転じて12年後の1996年、GEプラスチックスの日本法人で営業ゼネラルマネジャー(GM)となる。39歳、初めての管理職だった。

 GM任命に際し、上司だったイタリア人社長に忠告があると呼ばれ、言われたのが「お前はエッジが足りない」。彼はいつも怖い顔で周囲を威圧するリーダーでした。そこで私も彼をまねたのですが、気負いすぎていたのでしょう、顔ばかり気になって物事の本質が見えなくなっていました。

 部下が値引きの承認依頼を持ってきた際、必要以上に怖い顔をして意味のない議論で時間を無駄にしたりしました。そしてあるとき「こういうことではないのでは」と考え直しました。大事なのは中身だと。普段はニコニコ笑っていても、決める時にはきちんと決断するのがリーダーです。

■98年、念願の米国転勤を打診され、二つ返事で受けた。GEプラスチックス米国法人の北東地域GMとして赴任したものの、いきなり壁にぶち当たる。

くまがい・あきひこ 1979年(昭和54年)米カリフォルニア大ロサンゼルス校経卒、三井物産入社。84年GEに移り、13年から現職。兵庫県出身。

 米国行きの飛行機に乗るまではワクワク感しかなかったのですが、だんだんと不安になりました。米国の大学も出て米国人と同じように働きたいとずっと思っていましたが、部下もお客さんも全員米国人になるわけですからね。なめられてはいけない、緊張を見せないように、と意識し過ぎていたのでしょう。

 当時はプラスチックの原材料価格が高騰していて、価格転嫁したくても顧客も簡単に首を縦に振ってはくれません。赴任早々、「上司として同行してください」と部下に請われ、交渉に臨みました。

 さすがに米国社会、席につくなり相手の購買担当者は大声でまくし立てます。「お前が何をしに来たのかくらいはわかっている。値上げは1セントも認めないからな」といった調子です。私はビックリして「何を言うんですか。のんでもらわないと困ります」と言い返してしまいました。言い合いになり、最後は退散するしかありませんでした。

 この時は数カ月悩みましたね。ある日ふと「これからは日本流でやってみよう」と思いついたのです。自分はどこまでいっても日本人であって、アメリカ人にはなれません。ならば自分の強みを生かそう、と考え直しました。

あのころ
 1990年代、ジャック・ウエルチが育てたゼネラル・エレクトリック(GE)の工業用プラスチックは事務機から電化製品、自動車の内装部品まであらゆるものに使われていた。2000年代に入ると韓国や中国、台湾勢が低価格攻勢で台頭。原油価格の高騰も重く、GEはプラスチック事業を07年に売却して撤退した。

[日本経済新聞朝刊2017年3月7日付]

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