熊本地震の試練、九州新幹線復旧で「絆」実感
九州旅客鉄道会長 唐池恒二氏
全線復旧し、JR博多駅を出発する鹿児島中央行きの九州新幹線(4月27日午後)
九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第14回は九州新幹線の2016年熊本地震での被災について語ります。
――九州で初めての震度7を観測する地震が発生し、試練が襲った。
2016年4月14日夜に熊本県益城町で震度7を観測、九州新幹線の回送列車が熊本駅近くの線路上で脱線して全線で不通となりました。その後も震度6強などの地震活動が一向に収まらない。1日も早い復旧は鉄道の使命ですが、復旧活動をする社員の2次災害は避けなければいけない。大きな地震が一段落するまで車両の撤去作業は控えました。これが功を奏しました。
国鉄に「非常事態が起きたら、一服するまで待て」という言葉があります。すぐ復旧工事に取りかからなかったことで、じっくりと対策を考える時間ができました。中越地震で上越新幹線の脱線を経験したJR東日本から助言を得て、JR東海やJR西日本からは現地に社員を派遣してもらい、脱線車両をレールに戻すために必要なジャッキや土台となる木材を借りることに。完璧な準備が整った。
18日にあった経営会議。いつにも増して明るく元気に議長役を務める青柳(俊彦)社長の姿が。私は最後にきょうの青柳社長は立派だとほめました。新幹線が脱線し、地震で多数の死傷者が出て心が痛みますが、リーダーに元気がないと部下の心も沈みます。「青柳社長を見習おうじゃないか」。檄(げき)を飛ばしましたよ。その日から新幹線の撤去作業が始まりました。
――災害の度に絆を確認。
19日に脱線現場を視察。社員は睡眠不足で疲れ果てているけれど、激励して握手をすると喜んでくれまして。私は何もできないのでね。「君たちが頑張っているのを見ているぞ」と伝え、一生懸命に立ち向かってもらいたかった。