子育て経験し「頼り上手」に フォント(書体)と歩む

モリサワ 公共ビジネス推進課係長 橋爪明代さん
モリサワ 公共ビジネス推進課係長 橋爪明代さん

新聞、本、インターネット、あらゆる媒体に使われるフォント(書体)は現代社会の必需品。2017年秋以降、「ウィンドウズ10」に搭載される「UDデジタル教科書体」のプロジェクトを手がけるなど、教育現場を舞台に書体の可能性と魅力を伝え続ける、モリサワの女性リーダー、橋爪明代さんに迫る。

皆さんは書体(フォント)を意識したことがありますか? ゴシック体や明朝体などと呼ばれる文字の種類のことです。私が働くモリサワは、書体を作り出す会社です。皆さんもパソコンで企画書を作ったりメールを書いたりするときなど、無意識のうちにいくつもの書体に触れていると思います。

パソコンのない時代には、印刷物を作る際には「写植(しゃしょく、写真植字の略)」というシステムが使われていました。それ以前は「活字」という1文字ずつの小さな版を拾い上げ組み合わせて印刷が行われ、印刷物を作成するのは大変な労力の必要な作業でした。モリサワは1924年、写植を行うための「邦文写真植字機」を世界に先駆けて発明したことに起源を持つ会社です。それ以来、時代のニーズに合わせ、数多くの書体を世に送り出してきました。

時代に合わせて変化し続ける書体の柔軟さ

雑誌やポスターを作るデザインの現場では、一つの媒体を作るために約30種類の書体が必要だといわれています。かつては書体の知識を持つデザイナーが使用書体を指定し、書体そのものを持っている写植業者が印刷データを作るというワークフローでしたが、パソコンの普及により、今はデザイナー自身がフォントを所有して仕事をするのが当たり前になりました。

そんな時代の流れを受けて、モリサワは2005年に213書体を搭載したフォントのライセンス製品「MORISAWA PASSPORT」を発売。その後、搭載書体を増やし、最新版では1000書体以上を収録しています。私は入社以来、この商品の流通販路の拡大や利用促進に携わってきました。ここ数年は美術大学・芸術大学をはじめとした教育機関や、教育市場を担当し、現在では市区町村と取組む仕事にも注力しています。

同じ商品でも訴求する相手によって響くポイントは様々

私は美大で日本画を学んだ後、デザインやものづくりをする人たちと仕事をしたいと思い、モリサワに入社。販路を広げるためのマーケット部署に配属となりました。発売されたばかりの「MORISAWA PASSPORT」を片手に家電量販店などを巡り、商品説明をして回る毎日でした。

流通業界で奮闘する中で学んだことは、エンドユーザーであるデザイナーに響くポイントと、販売会社に響くポイントは違う、ということ。同じ商品でも立場が違えばメリットに感じるポイントが違うのです。例えば、デザイナーにとっては「個性的な書体も含めて数百書体が一度で手に入ること」が魅力ですが、販売会社にとっては「一度ご契約いただければ2年目以降も高い確率で更新されること」が魅力です。それぞれのお客様の立場を理解して訴求することが、結果的にユーザー拡大につながっていったと思います。

本物の書体に触れてほしい

現場の声を商品開発にフィードバックする重要性も実感しました。「こういう形にしたらもっと売りやすい」「欲しいと思ったらすぐに手に入る迅速な認証システムを」といった現場の声を商品開発に生かし、改良を重ねていきました。13年には美大の学生や先生たちの意見をヒントに「MORISAWA PASSPORT アカデミック版」を開発。それまでも学生向け商品はあったのですが、使える書体が30書体に限られていました。書体はその時々の流行がありますし、使う世代によっても好みが違います。さらに、学生たちは卒業してデザインの仕事に就くと何百種類という書体の中で仕事をすることになります。そこで、通常版と同じ1000書体以上を収録した4年間限定のアカデミック版を作ったのです。

育児休暇後に職場へ復帰してからは仕事の効率が驚くほど上がったという

インターネットで無料のフォントが手に入る今、学生にとってモリサワのフォントは決して安いものではありません。でも、未来のデザイン界を担う学生たちにこそ、最初からプロ仕様の書体に触れて学んでほしい。そんな思いで開発した商品でした。

この「アカデミック版」の開発は私自身の転機にもなりました。当時「MORISAWA PASSPORT」を提案していた美大の先生や学生からいただいた声をきっかけに、ヒアリングや市場調査を重ね、手探りで企画をまとめていきました。外部の協力者を探すことも楽ではありませんでしたが、最も苦労したのは、社内へのプレゼンと交渉でした。

今でこそ一営業のアイデアから製品が生まれることも多いですが、まだそういった前例が少なかったため、私はなぜ今までと違うことをやる必要があるのか、何のためにこの製品が必要なのか、関係する部署の人たちに理解してもらうために多くの時間を使いました。

当時、機械メーカーの流れをくむ当社は男性社員が多く、新製品の企画を女性社員が手がけることはまれでしたが、根底にある思いや製品の必要性を理解してもらえたことで、一丸となって取り組むことができました。やはり腑(ふ)に落ちないまま仕事をするのと、納得して仕事をするのとでは、途中経過も結果も違うものです。

「好き」「得意」と思える仕事に気が付いた

私は気が強く、周囲と意見がぶつかることも多いのですが、このプロジェクトではへこたれることもありました。そんなとき、支えになったのは「エンドユーザーであるデザイナーさんたちの現場を理解しているのは橋爪さんだけ。自信を持って企画して、自信を持って提案しなさい」という上司の言葉でした。

私だからこそできる仕事なのだと言われたことで、自分がデザインの現場に身を置いている人たちが好きなこと、その人たちの側で仕事をしたいと願っていることに改めて気付かされました。好きだと思える仕事、得意だと思える分野を見つけられたことは、仕事をする大きなモチベーションになりました。今もこうして楽しく働いているのは、あのときの気付きがあったからだと思います。

出産は仕事の不利にならない

この「アカデミック版」の発売を見届けて、私は産休に入りました。出産日の2週間前まで出勤していたので、おなかはかなり大きくなっていましたが、「この商品を世に送り出してからでなければ休みたくない」と思いました。休んだ途端、うそのようにやることがなく、ぽっかりしてしまったことを覚えています。そして、約1年半の育児休暇を経て、同じ部署に復帰しました。

復帰後は保育園へのお迎えの時間までに仕事を終えなくてはならず、必然的に仕事の効率が上がりました。「人ってこんなにやれるのか」と自分で驚いたほどです。生活も健康的なサイクルになりましたし、出産したことが仕事に不利になったと感じたことはありません。むしろ収穫がありました。

私は職場でも家庭でも基本的に「何でもやりたいタイプ」ですが、1人で全部やろうとすると、結果的に周囲に迷惑をかけてしまう。自分ひとりですべてのことはできない、ということを認めることも大事なのだと学びました。まず一生懸命やってみることは大前提ですが、周囲に頼ることをためらわなくなったことは大きな変化。子育てを経験したおかげです。

16年にリリースした新しい書体に「UD(ユニバーサルデザイン)デジタル教科書体」があります。これは、ICT教育が広がるなか、ロービジョン(弱視)やディスレクシア(読み書き障害)の生徒も読みやすいように設計したUDフォントです。タブレット端末で表示した際に、他の教科書体と比べてより読みやすいという検証結果を得ています。

ちなみに日本語の書体の場合、文字をいくつそろえると、一つの書体として機能すると思いますか? ひらがな、カタカナの50音を収録するのはもちろん、主な常用漢字を網羅する必要があり、モリサワでは最大で1書体あたり2万3058字を収録しています。

一つの書体を10~20人のチームが2年以上かけて作るのが一般的ですが、この「UDデジタル教科書体」は研究と開発を繰り返し、10年がかりで作り上げた書体です。17年秋から提供が始まるウィンドウズ10のアップデートに標準搭載されるので、ぜひ多くの人に使ってもらいたいです。

「書体は目で聞く声。ナレーターを選ぶように、書体を選ぶ」といわれます。書体は人を豊かにできる存在です。これからもその魅力をたくさんの人に伝えられるよう、お客様のニーズに合った書体・製品・サービスを届けていきたいと思っています。

取材後記

モリサワの女性活躍の道を切りひらいている橋爪さん。産休中からたびたびお子さんを職場に連れて来ていたそうなのですが、それは「書類提出などのタイミングで総務の人が『もしよければ一緒に顔を出したら?』と言ってくれたから」(橋爪さん)なのだとか。クリスマスには公認サンタクロースがオフィスにやってくることもあるそうで、「そのときは皆、子供を連れてきます。こうして時折、子供と同僚たちが顔を合わせることによって職場の人たちも、うちの子を親身に感じてくれるようです。とても幸せなことだと感謝しています」(橋爪さん)。職場と家庭をゆるやかにつなげ、働き続けやすい空気を育む。素敵な計らいですね。

橋爪明代
モリサワ 公共ビジネス推進課係長。女子美術大学で日本画を専攻。卒業後の2006年、モリサワに入社。「MORISAWA PASSPORT」の流通マーケット担当を経て、現在は教育市場における書体活用の啓発活動を推進。一児の母。東京都生まれ。

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