「会議で何言えばいい?」 頼りにされた社長の右腕
三陽商会社長 岩田功氏(下)
三陽商会が9月に立ち上げを発表した新ブランド「5LAKES&MT」
三井物産出身の田中和夫社長の下、組織や物流などの構造改革を進めた。
「社長が何を考えているのか教えてくれ」という電話が、部長クラスからよくかかってきました。田中さんは年齢が一回り下の私には優しく接してくれましたが、部長クラスには相当厳しかったようです。右腕と目されていた私に、「会議では何を言えばいいんだ」と聞く人もいました。
課長時代に労働組合の本社支部長を兼任した
企画・生産と販売といった機能ごとの組織をブランドごとに一体運営する体制に改めました。ブランド担当は複数の取引先を担当するため、特定の百貨店に食い込んでいた営業からは抵抗がありました。課長として手腕が問われました。
忘れられないのが、議事録です。田中さんは人事や総務などの業務系部門を強化しようとしていました。毎週月曜日の朝は業務系の責任者を集めたミーティングがあり、終わると各部長クラスに送るための議事録を書かされました。
社長に見せると、赤ペンで添削し始めました。「発言通りに書いても伝わらないことがある。行間を読め」という指摘でした。約半年後、「ようやく議事録が書けるようになった」とお墨付きがもらえました。
2000年に取引先のそごうグループが民事再生法の適用を申請し、対応に追われた。
民事再生法はできたばかりで、先例がありませんでした。1週間ぐらい毎晩深夜まで会議をして現場に指示。納入後に未払いの商品をどう返してもらうか、代金を支払ってもらうかなどを弁護士と相談しながら議論しました。結局、億単位の損失が出ました。
その後も米リーマン・ショックや東日本大震災があり、15年には英バーバリーのライセンスを失いました。そごうの件は、大きなことが起きたときに会社としてどう対応するかを学ぶ機会となりました。
2001年に私が作ったエクセルシートの帳票は、今でも使われています。昔は百貨店への卸売り商売が前提で、シーズンが終わって返品された分のマイナスが次の期まで分かりませんでした。それを期の途中でも店頭在庫の量を把握できるようにしたため、生産や販売の計画が立てやすくなりました。
経営企画畑で改革を進めた手腕を買われ、17年に社長に就く。
経営企画で田中社長と一緒に仕事をし、経営とは何かを学んだことで会社を動かす仕事が面白いと思えるようになりました。社長就任の際、総務の社員が倉庫から引っ張り出してきた物があります。年季が入った田中さんの机です。今、それを使っています。
2000年前後は大規模小売店舗法(大店法)の改正・廃止を受け、ファストファッションやセレクトショップなどの専門店や大型商業施設が台頭。競争が激化した。三陽商会は15年夏に主力ブランド「バーバリー」のライセンス契約が終了し、16年12月期は過去最大の最終赤字に陥った。