先端技術の活用は早ければ早いほど実りが多い第1回 医師兼情報学研究者の沖山翔氏に聞く

日経ビジネススクール(日本経済新聞社、日経BP社)では、新事業や経営を担う次世代リーダー向けに、テクノロジーが引き起こす社会や産業の大変革を予測し、それを乗り切る羅針盤となる戦略を伝授する「テクノロジーインパクト2030」を10月11日に開講します。本連載では「テクノロジーインパクト2030」の講師に、各研究分野でのテクノロジーの進歩が近い将来に何を起こそうとしているのか、ビジネスにどのようなインパクトを与えると考えているのかを聞きます。第1回は医師 兼 情報学研究者の沖山翔氏です。

健康は万人に共通の関心事であり、無病息災は時代を超えた願望である。このため、医療技術の開発と実用化には莫大な資金と人材、英知が投入され続けている。こうしたモチベーションと取り組みの環境を背景にして、医療分野は、古くはX線、新しくは人工知能(AI)やロボットと、その時代の最先端の技術を真っ先に活用する応用開拓のトップランナーになっている。

新しく生まれた技術は、基礎的な技術が出来上がるだけでは、生活や社会、ビジネスを変えることができない。技術の潜在能力を引き出して具体化する応用開発や技術利用を支援するエコシステムの構築があってはじめて、世の中に大きなインパクトを及ぼすようになる。AIやロボットをフル活用する時代の到来に先駆けて、医療分野では既に未来を開く先端技術の活用が始まっている。先端技術を扱う医療の今の姿は、世の中全体の近未来の姿でもある。

フリーランスの医師として救急医療の現場に立ちながら、同時に情報学研究者としてAIやロボットなど多くの先端技術とその活用の今を研究している沖山 翔氏に、医療分野での先端技術の活用状況と今後の展望を聞いた。

AIやロボットは身近な先端医療

――AIやロボットなど、近年の先端技術の活用の動きを、技術ユーザーである医療関係者の視点からどのようにご覧になっていますか。

AIやロボットには、医療分野に応用された過去の先端技術とは違った期待感が出てきているように感じます。これまで医療にまつわる科学技術は、X線撮影や創薬技術のように、患者ではなく医師や研究者が使うものが中心でした。ところがAIは、既に囲碁のトップ棋士を破るといった一般の人にも分かりやすい成果を上げ、その絶大な威力が広く知られています。このため、AIやロボットの医療分野への応用に対する期待は、専門家よりも世の中全体の方が大きいように感じています。

これらの新しい技術は将来的に、医療と患者の関係を塗り替えるポテンシャルを持っていると思います。これまで、医療と患者は、常に医師を介してつながってきました。医療とは、すなわち医師による検査・診断・治療のことだったのです。その背景には、病気、症状、患者一人ひとりの体質、検査法や治療法などがからみあった医療の複雑性があります。病状を正しく把握し、適切な処置をするための翻訳家として医師が必要だったのです。一方で、AIは複雑なデータを把握し、統計的な結論を出すことが得意です。AIが適切に発達していくことで、医者という翻訳家を介さずに医療と患者がつながる新たなバイパスが生まれる可能性があります。

近年では国によって、患者の自発的な対処行動を促し、病院での受診を最小限に抑えるセルフメディケーションが推進されています。医療保険制度を維持していくためには欠かせない動きです。しかし患者の自己判断による医療は、一定のリスクも伴います。AIやロボットを医療に応用することで、人手不足の医師のサポートになるとともに、自発的に医療を受けられる環境への一助となります。

AIの効果的な教育こそが最重要課題

――現在のAIやロボットは、医療と患者を直接つなぐことができるまでに成熟しているのでしょうか。

医療のすべてが自動化されるべきではありませんし、前提としてまだ、いくつかのブレークスルーが必要です。医療をタクシーになぞらえて考えてみると、いまのAIというのは乗客(患者)ではなく、運転手(医師)のためのカーナビのような位置付けです。直接患者が利用するものではなく、医師の診療をサポートするツールなのです。

医療と患者が医師を介さず直接つながるというのは、運転手不在の自動運転車になるということです。安全な分野から始めるか、極めて高い信頼性・安全性を実現する必要があります。そのためには、より適切な判断を下すAIを育てるための膨大な学習データが欠かせません。現状では、この学習データが質、量の両面から足りないことが課題になっています。

――医療分野で、学習データを収集するというのは難しいことなのでしょうか。素人目では、病院で扱う情報は電子化されており、病院同士を結べば大きなデータベースができ上がると思えるのですが。

学習データの収集は、戦略的に進めないと効果が得られません。レントゲンの写真など検査データはたくさん集められますが、これを学習データにするためにはどのような病気につながるデータなのかラベル付けする必要があります。病院の中では検査と診断それぞれのデータが生み出されているわけですが、双方のデータが分断されてしまっているため、学習データとして有効活用できないのです。

また、精度の高いAIを訓練するために必要な学習データの数は膨大です。グーグルは、AIに写真を見せて猫を判別できるようにするために、1000万枚もの写真を学習に用いたといいます。一方で人間は、初めて見た動物でも、名前を一度教えられれば、次からはきっちりと判別できます。このように、分別のついた大人の人間と、レントゲン写真の見方どころか「写真とはどのようなものか」「ものを見る・区別するとはどういうことか」から学習しなければならないAIとでは、学習効率に大きな差があります。

病院同士をつないでデータを効率よく蓄積するしくみはもちろん重要です。しかし、それによって学習データの数が1000倍や1万倍になることはありません。このため、少ない学習データで効率よく学習できる転移学習などのような、AIアルゴリズムの発展があわせて重要になります。

高精度で診断できるAIを育てることができれば、その価値は極めて高いと思います。既に、骨折と肺がんを対象にして、高精度の画像診断サービスを事業化しているエンライテック社のような企業も登場しています。同社のAIは、診断的中率と見逃しの少なさの両方で、トップレベルの医師を上回っています。しかも、診断を下す速さは5万倍速く、24時間働き続けてくれます。

これまでも共に歩んできた、医療とテクノロジー

――過去にも、AIやロボットに関連した医療の取り組みはあったのでしょうか。

レントゲン画像のAI診断と似た領域では、心電図の自動診断システムが1970年代から用いられています。折れ線グラフのような単純なデータなので、最近の機械学習アルゴリズムを用いなくても、パターン分類ができてしまうのですね。診断の精度も悪くありませんが、多くの医師は自分の目で診断した後に、ダブルチェックの意味で使っています。手術ロボットについては、精度の高い動きを実現する医師操作型ロボット「ダ・ヴィンチ」が有名です。手の震えをなくし、拡大鏡を用いることで、米粒に文字が書けるレベルの繊細な作業が可能になります。

パターン分類も、エキスパートシステムと呼ばれる立派なAI技術の一つですが、プログラムを組む人間の能力を超えられないという壁があります。生物の分類を例に挙げれば、陸上の生き物と水中の生き物といった区分けで考えるパターン分類はできます。これによって、ほとんどの哺乳類と魚類を区別できますが、イルカやクジラは魚類に分類されてしまいます。こういった問題を避けるには「ただし、……の場合には~」と、実際には数限りない場合分けの条件が必要です。ここ数年で話題になったディープラーニング(深層学習)は、陸か水かといった人間から見たときに分かりやすい違いでなく、正確な区別に用いる有用な判断基準を自力で見つけ出すことができます。それによって、人間が気づかなかったような特徴をもとに、効率的に仕分けできるのです。

――これまでも医療に取り入れられてきたAI技術が、さらに進化しつつあるということですね。日常生活の中で生体情報を収集し、病気になる予兆を察知して未然に対処する未病対策としてもAIの活用が期待されています。

病気の予兆は、いずれ察知できるようになるとは思います。しかし時間がかかるかも知れません。これは、心拍パターンなど日常の生体情報とその後の病気発症を関係付けたデータの蓄積が不足しているためです。また、判断基準も熟慮する必要がありそうです。「血圧が高い人は心筋梗塞になりやすい」といった、確率論的な診断になるかと思われますが、どのくらいの確率で警告を出すかが問題になります。過剰診断と見逃しはトレードオフの関係にあります。例えば、発熱を訴える人全員をインフルエンザと診断すれば見逃しはなくなりますが、明らかに過剰診断です。日常生活の段階で病気の診断を確定することはできませんから、警告を出すタイミングの見極めが大切になります。

テクノロジーの牽引役としての医療

――医療にインパクトをもたらす先端技術として、どのような技術に注目していますか。

様々な応用にインパクトをもたらす基盤技術としては、AIとの相乗効果で新薬開発を加速する量子コンピューターや、情報管理を通じて医療の透明化につながるブロックチェーンに期待しています。また、応用技術としては、ロボット以外にも、効果的な手術のシミュレーションを可能にする拡張現実(AR)と仮想現実(VR)、遺伝子疾患から感染症まで幅広い応用が期待される遺伝子編集技術(CRISPR)、失われた運動能力や感覚能力の獲得や能力拡張の可能性をもつブレイン・コンピュータ・インタフェース(BCI)があります。

これら先端技術の活用は始まったばかりです。しかしテクノロジーは、研究開発に投じられた資金と人材の量に応じて、指数関数的に高度化していきます。そしてテクノロジーがテクノロジーを進化させるという「複利効果」が働くので、後からどれだけ必死になるかよりも、どれだけ早い時期に着手したかが大きな差となります。

――医療分野でいち早く実用化した先端技術が、そこで培った実績とエコシステムをもとにして他分野への応用を開くという応用の連鎖も期待できそうです。

そうですね。遺伝子編集の応用は、医療技術を他分野展開した好例かもしれません。過去の農作物の品種改良では、種に放射線を当てて突然変異を誘発させ、たまたま生まれたよい種を選別して使っていました。現在は、ゲノムを編集し、欲しい性質を持った品種を計算ずくで生み出せるようになりました。

医療分野では、先端技術の活用に果敢に取り組んでいます。医師で先端技術の活用を見据えたベンチャーを起業する人も少しずつ増えてきました。しかし、医者そのものが人手不足の状態です。むしろ異分野からの参入を容易にして、医療分野にかかわる技術者がもっと増えるとよいと感じています。

沖山翔
2010年東京大学医学部卒業。日本赤十字社医療センター(救命救急)での勤務を経て、ドクターヘリ添乗医、災害派遣医療チームDMAT隊員、船医、株式会社メドレー執行役員として勤務。メドレーではオンライン医療事典「MEDLEY」の立ち上げに携わる。現在はフリーランスの医師として診療を続ける傍ら、個人で情報学の研究活動を行う。人工知能学会、情報処理学会会員。
今こそ始める学び特集
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら
注目記事
今こそ始める学び特集
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら