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エンジン故障に荒波での欠航と、問題が次々と襲ってきた

エンジン故障に荒波での欠航と、問題が次々と襲ってきた

九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第5回は困難続きだった博多―釜山間の航路開設について語ります。

――高速船は文字通り前途多難な船出だった。

博多―釜山間の航路開設と並行して、高速船のジェットフォイルの価格交渉にも動き始めました。発注先は川崎重工業。世界の名だたる船主と渡り合う相手に、できたばかりの弱小事業部では交渉の行方は火を見るよりも明らかです。「価格交渉は私がやりますわ」。大嶋部長が自ら交渉役を買って出てくれました。

本業の鉄道は赤字であるだけに予算は限られています。大嶋部長は1円たりとも譲らない。半年かけた交渉で最後は相手が音を上げました。鉛筆1本まで大事に使うよう指示する大嶋部長には「けちなおっさんやな」と反発心もありましたが、私のほうの国鉄意識が抜けていなかった表れでした。私なら相手の言い値で押し切られていました。

カブトムシを思わせる船体から名付けた高速船「ビートル」の就航日は1991年3月25日。記念すべき日に玄界灘が本性を現しました。春の嵐の通過時にひどい雨が降り、波が押し寄せて高くなります。何とか出発できましたが、思わぬ事件が起きました。

出発式の司会は予算もなければ人もいないので私が兼任。無事に大役をこなして初便に飛び乗りました。ですが、出国手続き者数と船内にいる乗船員の数が1人だけ合わず「初日から何をしているんだ」とえらく怒りまして。入国管理局からの特段のお許しでようやく出発できました。

「おや、待てよ…」。

一息ついた船上でふと気づきました。

「犯人は僕だ!」。

てんやわんやの忙しさで、出国手続きをすっかり忘れていたのです。船員にはすぐに謝りました。何とか入国できましたが、荒れた航路で帰国したのは2日後。前途多難な船出でした。

――事件はさらに起きる。

出発式から約4カ月がたった7月15日。釜山と博多の中間にある対馬で、ビートルを使った修学旅行の商談をしている最中に緊急事態を告げる知らせが入りました。「釜山発のビートルがエンジントラブルで飛べなくなりました!」。故障で海面から浮上できなかったのです。

博多港までたどり着く燃料はなく、急きょ対馬に寄港させることに。入出国手続きできる準備を整え、乗客全員の宿泊先も手配しました。午後8時すぎ、5時間以上も揺られてビートルが到着。疲労感いっぱいの乗客をターミナルビルに誘導しました。「楽しい旅行を台無しにしてしまったことを深くおわび申し上げます」。乗客の表情は厳しい。「簡単な夕食を用意しており、ビールも好きなだけ飲んでください」とさらに告げると、ようやく乗客は緊張感から解放された表情に。おわびを込めて宿泊先を1軒1軒回ってビールをつぎました。

玄界灘には苦しめられました。10日に1回は欠航で、お客様より船員が多い日も。2~3年は苦労しました。私にできたことは船舶事業の道筋をつけたことぐらいでした。

[日経産業新聞2016年4月19日付]

仕事人秘録セレクションは金曜更新です。次回は2017年10月6日の予定です。

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