お彼岸のおはぎ 「半ごろし」か「みなごろし」か?

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もうすぐ秋のお彼岸である。彼岸とは春分の日と秋分の日を中日とし前後3日を含めた1週間のこと。もとは仏教用語で「あの世」をさし、この世のことは「此岸(しがん)」という。

彼岸の1週間はあの世とこの世を行ったり来たりしやすい期間だそうで、お墓参りに行ったり仏壇にお供えをしたりして先祖に感謝をする。その際にお供えものとして欠かせないのが「おはぎ」だ。

説明するまでもないだろうが、おはぎとはもち米とうるち米を混ぜて(あるいはもち米のみを)炊くか蒸すかしたものをつぶして丸く握り、あんこを外側にまぶした生菓子。

小豆、赤い色には魔除けの意味が=PIXTA

おはぎがお供えものになったのは江戸時代のこと。赤い色には「邪気払い」「魔除け」の効果があるとされ、お彼岸に赤いあずきのおはぎを先祖へ捧げ、自分たちも食べることで邪気払いをしたという民間信仰が広まったようだ。

小さいころおばあちゃん、あるいは母親と一緒におはぎをつくったという人も多いだろう。「おばあちゃんのおはぎを食べるのが楽しみだった」とか「ごはんにあんこという組み合わせが許せなかった」など、アンチを含めてノスタルジックな思い出が誰にでもあるのではないか。

さて、酒の場では「食の論争」なるものがよく起きる。思い入れが強いせいだろうか、おはぎはしばしその激しい戦いのテーマとなるように思う。食の論争とは「卵焼きにかけるのはソース? しょうゆ?」「だし巻き卵に砂糖入れる? 入れない?」といったもの。最近ではネット上の「きのこの山」と「たけのこの里」の戦いが熱い。

手前がこしあん、奥がつぶあん=PIXTA

おはぎは「好き派vs嫌い派」に始まり、食の論争永遠のテーマ「こしあん派vsつぶあん派」、「中のごはんは完全につぶす派vsつぶさない派」も議題となる。

好き嫌い、どっちがうまいかは個人の好みで、他愛のない会話を楽しんでいるだけゆえ正解はないのだが、おはぎのもともとの姿はどうやら「つぶあん」だったようである。

これはおはぎの語源をひも解いてみるとわかる。

おはぎは、あずきの粒が残ったあんの様子が赤い萩の花が咲き乱れているのに似ていることから「萩の花」「萩のもち」と呼ばれていた。それを中世の宮中の女官が使う「女房言葉」で「おはぎ」と呼んだことから現在までその名が使われている。

萩の花(左)と牡丹の花=PIXTA

「ぼたもち」とも呼ばれ、こちらは牡丹の花に見立てたことからその名がついた。ゆえに牡丹が咲く春には「ぼたもち」、萩が咲く秋には「おはぎ」と呼ぶ。

萩はまだわかるとして牡丹ってけっこうゴージャス感のある花じゃなかったっけ? あの地味でもっさりとした見た目から花を思い浮かべるとは昔の人の想像力はスゴい。

こんな風流な名前がある一方で、物騒な名前で呼ばれることも。その名も「半ごろし」。つぶが残る程度にごはんを粗くつぶすことを「半ごろし」ということからその名がついた(あずきを粗くつぶすことをこう呼ぶ地方もある)。

この名前が生み出す勘違いは落語や昔ばなしにもなっている。昔ばなしは伝わっている地方によってちょっとずつ違う点もあるが、あらすじはだいたい一緒。旅人が一夜の宿を借りた家で、隣の部屋から「明日の朝は半ごろしにしようか、手打ちにしようか」と家人が話しているのを漏れ聞き、震え上がるというもの。