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所長として過ごした国鉄バス棚倉営業所(福島県棚倉町)はその後、統廃合で無人に

所長として過ごした国鉄バス棚倉営業所(福島県棚倉町)はその後、統廃合で無人に

九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第2回は労組と交渉する若手担当者だったころや、福島県でのバス所長時代について語ります。

――強い力を持つ労働組合との交渉に末席で臨んだ。

入社後配属されたのは上野から東北方面の路線を管轄する東京北鉄道管理局。そこで労組と交渉する要員係だった入社2年目に課長から突然こう命令されました。

「唐ちゃんね、君も団体交渉をしろ」

案件は1978年秋に大赤字の貨物の改革で行われた史上最大のダイヤ改正、いわゆる「ゴーサントオ」です。2年目での交渉担当は私だけ。課長は度胸のある人でしたね。

国鉄の現場は駅長、助役と一般職員との激しい対立で荒れていました。任されたのは、中でも最も温厚と言われた宇都宮支部。たばこで煙臭い会議室でしたよ。たばこを吸う間は労組もあうんの呼吸で回答を待ってくれますが、なんと私は吸えません。間を置かずに次々と話すもんだから、数々の失言で温厚な宇都宮支部を怒らせるはめに。

白河(福島県)に貨物列車を別編成に組み替える操車場がありました。上りと下りで別の担当班がいましたが、合理化で統合する提案をしました。労組の「線路を行き来すると危険で気持ちもめいる」との反論に「歩きながら景色を見て落ち着いてください」とつい言ってしまいました。すると、景色とは何だ、とつるし上げられまして。若気の至りでした。

その3日後に会議室に入ると「景色来たぞ、景色来たぞ」とからかわれましてね。5月から始まった交渉を終えたのは期限ぎりぎりの9月。最後は寮に帰らずに会社の机で1~2時間、寝られただけ。記憶力がなくなるほどでした。

――国鉄の末期に初めて鉄道以外の現場に出た。

29歳で所長を任された国鉄バス棚倉営業所(福島県棚倉町)は本当に問題職場でした。労組意識が強く、管理職とは面と向かって口を利きません。「おはよう」。毎朝、職員の各持ち場を回ってあいさつをしても返事は一切なし。職員同士の会話が止まり、にらむ人もいて空気が張り詰めました。毎朝寂しい思いをしていました。あいさつを繰り返すこと2週間。小さい声ながら一人が返答すると翌日から少しずつその輪が広がり、ようやく職員との距離が縮まり始めました。

国鉄は厳しい状況でしたから、棚倉営業所でも稼げという雰囲気でした。貸し切りバスに目星を付けましたが、運行の免許が下りるのは牙城の福島交通だけ。その都度申請してもなかなか許可が下りません。何とか職員の子どもが向かう遠足の契約を取ってきたところ、福島交通の所長が怒鳴り込んできました。

「うちの縄張りだからするな」。これには頭に来てね。「うちの職員が血みどろになって獲得したんだぞ」と応接間の外に聞こえるように大声で言い返しました。職員も意気に感じたのでしょう。この件を機に、営業努力が実り貸し切りバスの契約を次々に獲得できました。労使関係は対立したままでしたが会社としては一つにまとまれました。

[日経産業新聞2016年4月14日付]

仕事人秘録セレクションは金曜更新です。次回は2017年9月15日の予定です。

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