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井上美也子 アデランス東日本カウンセリング室マネージャー

井上美也子 アデランス東日本カウンセリング室マネージャー

アデランスで東日本カウンセリング室マネージャーを務める井上美也子さんは専業主婦を経て30代半ばでアデランスに入社した。様々な髪の悩みに対応して15年。自身の乳がん経験を生かし、医療用ウィッグの普及やがん患者の交流にも尽力してきた。闘病しながら働き続ける姿を、3人の子供に見せる半生に迫る。

年齢による髪の悩みはもちろん、医療、エンターテインメント分野でも

アデランスの始まりは、東京・新宿にあった1軒の理髪店で、2018年に創業50年を迎えます。現在は国内外に拠点を構え、育毛、増毛、ウィッグという3つのサービスを提供しています。

アデランスと聞くと、男性の育毛商品の印象が強いかもしれませんが、女性向けはもちろん子供向けもあります。髪の悩みには、年齢や体質によるものだけではなく、病気や事故といった要因もあり、どう改善したいかも人それぞれです。

たとえば、抗がん剤の副作用で髪が抜けてしまう患者さんには医療用ウィッグを提供しています。アデランスが展開する病院内美容室は全国に29店舗あり、近年では海外にも広がっています。

意外なところでは、1983年に日本で初めてミュージカル「キャッツ」が上演された際、ウィッグを担当したのもアデランスでした。あらゆる人の毛髪に関するご要望にこたえていくのが私たちの仕事だと思っています。

デリケートな分野だけに配慮は怠らない

私は東日本カウンセリング室のマネージャーをしながら、カウンセラーとして日々お客様の対応にあたっています。髪のお悩みはとてもデリケートなので、カウンセリングやケアはプライバシーが守られた空間で行います。店舗はどこも駅に近い繁華街のビルの2階以上に構えています。入口は男女別々で、同じビルには美容室やエステサロンなどが入っていて、利用者が足を運びやすいよう配慮をしています。ご自宅に訪問することもあります。

お客様とおしゃべりが弾むこともありますが、どんなに親しくなっても店の外では絶対にお客様に声をかけないことがルール。それはやはり毛髪ケアがデリケートな問題だからです。いずれ大人用ウィッグが眼鏡のように身近な存在になる時代がくるといいなと思っていますが、もう少し時間がかかりそうです。

自分の人生を見つめ直すために社会に出た

私は入社して15年目。この会社に入ったのは35歳のときでした。それまでは専業主婦をしていました。実家が美容室だったので、私も美容師の道を選んだのですが、早く家を出て自分の家族が欲しいと思い、20歳で結婚。21、24、29歳で出産し、3人の子育てをしながら30代を迎えました。

そんな私が働き始めた最大の理由は、自分の人生を見つめ直す、つまり、離婚をしたいと思ったからです。どうしても夫とうまくいかなくなり、離婚を考えたときに自活が不可欠でした。ちょうどそのころ、「親の介護には月に10万~15万円かかる」という話を聞き、もし離婚しないとしても私も収入を得るべきだと思いました。

カルチャーショックだらけの社会人生活

自宅の美容室を手伝っていただけでしたから、生まれて初めての会社勤めでは驚くことばかりでした。最初のうちは出社して退社するまで同じ空間で同じメンバーと長時間過ごすことをつらく感じました。様々なカルチャーショックを受けながら社会人生活がスタートしました。

アデランスのスタッフは大きく分けると、新規のお客様の窓口となる「カウンセラー」と、技術を提供する「技術スタッフ」がいます。私は店舗所属の美容師(技術スタッフ)としてパートで入社。初めは契約社員でしたが、1年後に正社員となりました。5年ほど働き、私の中でカウンセラー職への興味が高まっていた時期に、ちょうど相談室のカウンセラーが結婚して退職したのに伴い、カウンセラーとして関東営業部大宮相談室に異動。翌年、副長になりました。

カウンセラーの仕事は、お客様の悩みを聞くところから始まります。苦手な高速道路の運転も何とかクリアし、1日で埼玉、群馬、栃木と3県を巡ることもありました。スタイリスト時代とは全く異なる仕事を2年ほど続けた後、新規開店する東京本店女性サロンの店長として再び異動することになりました。

コンプレックスの原因が実は強みだった

異動が続いた時期は、孤独を感じながら仕事をしていました。カウンセラー時代は自分だけが技術畑出身であるがゆえの孤独を、店舗に戻ったら今度は元カウンセラーの自分だけが皆と違うように思えてしまい、どこにも仲間がいないような気分でした。

そんなどっちつかずの立場に悩んでいたときに、上司から「どうして東京本店の店長に選ばれたか分かりますか? あなたがお客様の入り口と出口の両方を知っている貴重な経験者だからですよ」と言われたのです。カウンセラーと技術スタッフの中ぶらりんであることがコンプレックスだったのに、両方経験していることが強みなのだと言われ、目が覚めた瞬間でした。

当時の私は40歳代前半。仕事もできるようになっていて自尊心の塊でした。30歳代後半~40歳代の女性は役職もつくころで、組織の期待に応えたいし、応えていける力もあります。意地とプライドとの戦いの中で、自分の真の姿が案外、見えていないのかもしれません。自分ではそこがだめだと思っている点が、周囲からは魅力と映ることがあるのだと知りました。

闘病しながら働く姿を子供たちに見せたかった

働き始めて間もなく離婚をしました。それと同時期に、母が日本で4例目という難病に倒れました。病院に運ばれたと思ったら翌日には片足を根元から切断しなければならない事態に。連絡を受けた際、母に代わって実家の美容室を手伝っていたのですが、手が震えてパーマのロットがなかなか巻けなかったことを覚えています。

そして、私自身は3年前に子宮頸(けい)がん(高度異形成)が、2年前には乳がんが見つかり、片方の胸を全摘・再建する手術を受けました。たまたま会社の定期健診で同僚が「今年はいつもと違う検査機関に行ってみよう」と言うので、違う病院に行ったら、乳がんが見つかりました。しこりを形成しない乳がんがあることを、そのときに初めて知りました。

再検査になったタイミングがちょうど人事異動が始まる時期だったので、まずは上司に「乳がんの可能性があるので今回の人事では異動させないでほしい」と相談。上司もすぐに配慮して、治療を応援してくれました。

私は乳がんの治療と仕事を両立することを決め、職場にもオープンにしました。一番下の子がまもなく20歳を迎えるタイミングでしたし、子供たちに一家の大黒柱がどうやって病や仕事と向き合っていくかを見せたい。仕事をする覚悟、働く責任感を父親に代わって伝えたいと思ったからです。「あんたたち、私の背中をしっかり見ておきなさいよ!」と言って抗がん剤治療に入りました。

乳がん治療を通じて得た働き方や仕事術

乳がんになってよかったとは思えませんが、たくさんの大切な気づきがありました。手術直前、年がいもなく親に感情のままにあたり散らした後のむなしさと情けなさ。あたれる相手=甘えられる相手であることを知りました。

働き方も病との向き合い方も人によって違うからこそ、信頼できる人に相談をして、自分はこうしたいと職場で伝える大切さを感じました。同い年の同僚が私よりも数年前に乳がんを患い復職していたのですが、職場に闘病をオープンにして働き続ける私と彼女とでは仕事や病への向き合い方が違っていました。それぞれの体調や体力、生活環境、考え方が違うのですから、人それぞれ違っていいんです。その理解を彼女とも職場の仲間とも共有できたことはよかったと思っています。

抗がん剤の体験は、お客様を理解し寄り添うことに生かされていると思います。副作用による全身の倦怠(けんたい)感、吐き気、味覚・嗅覚障害、爪の変色などがありました。なかでも髪の脱毛時の悲しさ。お客様が医療用ウィッグをお求めになる気持ちを、身をもって実感できました。

乳がんが確定し死を意識したとき、「考えてもどうにもならないこと」「今しなければいけないこと」「先々でもいいこと」を瞬時に判断している自分がいました。以来、ものごとの優先順位を即決するようになりました。仕事で行き詰まった際には、最初は客観的ではなく、主観を遠ざけて「俯瞰(ふかん)」して物事を見渡す。次に客観的に優先順位を見極める。そうすれば前に進めると気づいたのです。

一寸先は闇。後悔しない毎日を送り続ける

これからは自分の体験をお客様の笑顔や後輩たちの働き方の道しるべとして役立てていきたいと思っています。先に述べた通り、アデランスでは抗がん剤による脱毛に悩む人のための医療用ウィッグを提供しています。2015年には医療用ウィッグが保険適用になるための第一歩としてJIS規格化を実現しました。

闘病を通して正確な情報の大切さを痛感した経験から、医療用ウィッグや病院内ヘアサロンを通じて顔が見える距離で情報を持ち寄り合える「おしゃべりカフェ」という活動も始めています。罹患(りかん)したお客様が体重管理や食事内容、運動について学べるセミナーです。

正しい知識を持って標準治療のアドバイスができる「BEC(ベック)=乳がん体験者コーディネーター」という資格を取得しました。あふれる情報に振り回されず、それぞれが後悔しない選択ができるよう、アデランスの社員としてお手伝いできればうれしいです。

私は、がんがあす再発しても後悔しない仕事をしたいと思っています。母の病の経験と、告知後わずか半年で亡くなった同僚を思いだすとき、つくづく「人生、一寸先は闇」だと思います。頑張りすぎず、体の声に耳を傾け、心もきちんと休めながら、生きることを楽しむために働き続けていきたいです。皆さんも、ぜひ後悔しない毎日を積み重ねてください。

取材後記

井上さんの明るさはお母様譲りのようで、「母は『泣いても足が生えてこないなら笑ってる!』と、今も身の回りのことは自分でこなします。最期まで自宅で肺がんと闘病した父の在宅看病もしていました。女は強いです」と笑います。職場で孤独を感じた時代もあった井上さんですが、今はその逆だといいます。「私がやらなきゃ! 私が、私がと、以前は『が(我)』が強すぎました。『が』を取ることで、素晴らしい仲間に恵まれていることにも気が付けました。皆がいるから頑張れます」

井上美也子
 アデランス東日本カウンセリング室マネージャー。2002年に美容師としてアデランスに入社。07年からカウンセラー。東京本店店長などを経て、13年から現職。3人の子供の母。埼玉県生まれ。

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