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いすゞ自動車の新興国向けトラック「キング・オブ・トラックス」(2017年4月、タイ・バンコク)

いすゞ自動車の新興国向けトラック「キング・オブ・トラックス」(2017年4月、タイ・バンコク)

いすゞ自動車の片山正則社長(62)は自動車業界を志し、大学卒業後にいすゞの門をたたいた。

私が就職活動をしていた1970年代後半のいすゞは米ゼネラル・モーターズ(GM)と資本提携し改革の途上にありました。当時、外資と提携する日本メーカーは少なかったので、世界に窓が開かれていることが魅力でした。

最初の配属先は川崎工場の鋳鍛部。(金属を溶かして金型に流し込む)鋳物は生産の最初の工程です。私はエンジンを開発する前の試作などを担当しました。鋳鍛部には現場を指揮する区長や年配の技術者など様々な人がいます。皆で真っ黒になりながら工場を駆け回る日々でした。

最初に大きな仕事を任されたのは入社2年目だった。

かたやま・まさのり 1978年(昭53年)東大工卒、いすゞ自動車入社。2007年取締役、09年常務執行役員、15年から現職。技術畑トップは15年ぶり。山口県出身。

かたやま・まさのり 1978年(昭53年)東大工卒、いすゞ自動車入社。2007年取締役、09年常務執行役員、15年から現職。技術畑トップは15年ぶり。山口県出身。

老朽化した設備を新しい設備に取り換える仕事を任されました。5月ごろ、上司が「期限までに立ち上がるのか」と青い顔で飛んできました。立ち上げ予定は8月でしたが、着手していなかったのです。その頃に結婚しましたが、新婚旅行は諦めました。

設備の開発から交換まで丸ごと外注すれば手っ取り早いのですが、莫大な費用がかかります。そこで、金型の工程を見直すことにしました。工程を効率化し、設備の一部を稼働させながら交換を進めるのです。交換も少なくコストも抑えられます。当時としては非常識な手法でしたが、上司や仲間、金型製造機メーカーの社長も文句も言わず協力してくれました。通常は数カ月かかる作業を1カ月半で終えることができました。

この経験から製造業で大切なのは現場の人間関係と真実を見ることだと実感しました。こてこての人間関係があるから団結できます。現場の真実を見ると目を背けたくなることもありますが、真実を直視し、解決するための仮説を積み上げ、再び真実と対峙することが重要です。社長になってからこの「三現主義」を社員に訴えています。

入社9年目の86年、GMの研修プログラムで米国に留学する。

現地の大学に通い、GMの関連会社で職場体験や実習など様々な経験をさせてもらいました。技術拠点の規模や先進的な生産システムなどGMのスケールの大きさを身をもって知りました。GMの仲間と「鋳物が本体にあると甘えの構造になって競争力が高まらない」と、鋳物について議論したこともあります。

いすゞの鋳物事業はその後、別会社になるのですが、GMも同じ歴史をたどっていました。「本体の中にいると仕事を受けるだけになってしまう」。他の鋳物専業会社と渡り合うには、外に出て常に競争する意識を植え付けないといけないと考えていました。常にコストを見直し競争意識を高めていくことの重要性を学びました。

<あのころ>
 日本の自動車業界は1970~80年代に2度の地殻変動に見舞われた。最初が71年の自動車の資本自由化で、三菱自動車に米クライスラーが、いすゞにGMが資本参加。2度目が79年のオイルショックで東洋工業(現マツダ)が米フォード・モーターと資本提携するなど再編が相次いだ。
[日本経済新聞朝刊2017年2月21日付]

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